ウクライナで人道活動を続けるイギリス人のボランティア、ダーソー夫妻。(2023年5月・ヘルソン・撮影・玉本英子))

◆取り残された住民に物資届ける

ロシア軍の侵攻で人道危機に陥ったウクライナ。各国の様々な人道機関や支援団体が入り、活動を続けている。イギリスからトラックで駆けつけ、前線地帯に入って医薬品と食料を配布する夫妻がいる。彼らの思いとは。(取材・写真:玉本英子・アジアプレス)

物資を積み込んだダッジ・ラム 1500。イギリスから2泊3日かけてウクライナに入る。(2023年5月・オリヒウ・撮影・玉本英子)

◆戦争で苦しむのは弱者

黒塗りのピックアップトラック、ダッジ・ラム1500は、医薬品、食料、衣料を満載したトレーラーを牽引し、ザポリージャ南部のオリヒウを目指して幹線道をひた走っていた。町にはロシア軍が迫り、激しい砲撃にさらされている。現在、ともに60歳のダーソー夫妻が、二人だけのボランティアを始めたのは、2022年。侵攻直後に開始し、これまでにポーランド国境とウクライナ国内で10回におよぶ活動をおこなった。

トラックを運転する夫のジョーさんは消防士、妻のソフィーさんは看護師だ。有給休暇を調整し、イギリス東岸リンカンシャーの港町、ボストンから2泊3日かけて、ウクライナまでやってくる。

激しい砲撃にさらされたオリヒウ。砲撃の合間のタイミングを見て、支援現場に向かう。(2023年5月・オリヒウ・撮影・玉本英子)
町に残った住民のために、学校が避難所となっていた。爆撃を避けるため、地下でじっと座っていた。多くは年配・高齢者だった。(2023年5月・オリヒウ・撮影・玉本英子)
取材の2か月後、避難所だった学校が爆撃され、破壊。避難住民ら7人が死亡した。(2023年7月・オリヒウ・ザポリージャ検察公表写真)

軍と警察の検問をいくつも越え、オリヒウに入る。ほとんどの住民が脱出したなか、一部の年配・高齢者がとどまっていた。学校が避難所となり、住民は砲撃を避けるため地下に集まっていた。力なくうなだれて、時間が過ぎるのを待つ高齢者たち。

「戦争で苦しむのは、こうした弱者なんだ」

ジョーさんは、険しい顔つきで言った。

この避難所には、食料を提供するウクライナの団体が入り、住民をサポートしていた。二人は、戦闘地域に近い村へ向かうことにした。

オリヒウ南東のマラ・トクマチカ村。村に残る住民のために、支援物資を運んだ。(2023年5月・マラ・トクマチカ・撮影・玉本英子)
医薬品のほか、イギリスの寄付者から寄せられた衣料品も配布。(2023年5月・マラ・トクマチカ・撮影・玉本英子)

◆戦闘地帯の村で

オリヒウ南東のマラ・トクマチカ村は、ロシア軍が展開する戦闘地帯までわずか2キロ。砲弾が飛び交う最前線だ。この村にも、住民がわずかに残っていた。子や孫は避難させたが、自分たちは家畜の牛がいるため容易に処分できず、ギリギリまで残ると決めた人もいた。

「ロシア軍の偵察ドローンに見つかるから、配布は短時間で終えなければならない。人が集まると、そこが砲撃されるんだ」

そう言って、ジョーさんはトレーラーから医薬品や衣類を降ろし、手際よく住民に配っていった。

「支援が届かず取り残された地域がたくさんある。医薬品を手にしたときの女性たちの安堵の表情が忘れられない」

ソフィーさんは、顔をほころばせた。

マラ・トクマチカ村は、のちに戦闘が激化して死者があいつぎ、全村避難せざるを得なくなった。

医薬品について説明しながら配る。(2023年5月・マラ・トクマチカ・撮影・玉本英子)

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