イランから逃れ、3月7日に隣国に避難した日本人と連絡が取れた。米イスラエルの空爆にさらされる首都テヘランの様子を聞いた。(大村一朗・アジアプレス)

 

爆撃を受け、一夜明けても高々と黒煙をあげているテヘラン・メフラバード空港(退避邦人撮影2026年3月6日)

◆家が揺れ、窓ガラスがビリビリと鳴った

「イスラエル、攻撃してきました。ボンって数回音がしました」
2月28日の空爆開始の一報をSNSで伝えてくれたAさん。それを最後に音信が途絶えた。あれから、イランではインターネットが遮断され、電話もごく稀にしかつながらなくなった。Aさんの無事を確認できたのは一週間ぶりのことだった。
テヘラン市内での爆撃と市民の暮らしはどのようなものだったのか。

「昼夜関係なく、数時間おきに爆発音が聞こえました。10発くらい落ちては静かになるの繰り返し。間隔はまちまちでしたが、落ちない日はなかったです」

昨年6月に米・イスラエルによる空爆が行われた「12日間戦争」では、テヘラン市内に飛来するイスラエルのミサイルを革命防衛隊の迎撃ミサイルが撃ち落とす「リアル撃墜ショー」を家の窓から見守ったAさんだが、今回の空爆ではイラン側が迎撃している様子は見られなかったという。ミサイルはAさんの家のすぐ近くにも着弾した。

「飛行機が近づく音、ドーンと着弾。黒煙。また飛行機が近づく音、ドーン、着弾。家から歩いて数分のところです。300メートルくらいでしょうか。壁で囲まれた、バシジ(革命隊傘下の民兵組織)の施設だけを狙って繰り返しミサイルが飛んでくる。家が揺れて、窓ガラスもビリビリ音がするから、怖かったです」

今回の空爆では、イラン南部ホルモズガーン州ミナーブの女子小学校が爆撃を受け、児童170名以上が死亡した。テヘラン市内でも、軍、警察、政府関連施設等が爆撃を受ける中で、市民にも相当な犠牲が出ているのではないかと推測されたが、Aさんによると、そういう話は聞かず、テヘランでの巻き添えによる犠牲者は、あっても少ないのではないかという。

◆人びとの暮らし 町の様子は?

爆撃の対象になる可能性がありながら、イランの公共インフラに従事する公務員たちは職務を果たし続けていたようだ。

「この1週間、水道、電気、ガスは、我が家には問題なく供給されていました。街灯も信号も普通に点いていました」

商店も開いており、生鮮食品も店頭に並んでいたという。
このような中、Aさんは車でしばしば外出もした。爆撃があるからといって家にこもりきりだったわけではない。
市内で目に付いたのは、いたるところに設置された簡易的な検問と、そこで目を光らせるバシジや治安部隊の姿だった。そして、すでに多くの人が疎開し、道路はコロナ禍をほうふつとさせるぐらい空いていたという。

「テヘラン市民の半分以上は疎開していたのでは?もうすぐノールーズ(イラン歴の新年。西暦の3月21日)なので、戦争が始まったことで、早めに地元に帰省する人が多かったのだと思います」

次のページ: ◆ハメネイ師殺害に市民の反応は?... ↓

★新着記事