1941年(昭和16年)12月8日の対米英開戦と同時に、軍機保護法違反(軍事機密の探知とその漏泄〔漏洩〕)の容疑で、特高警察により逮捕状なしで北大関係者7人が検挙され、厳罰に処せられた「宮澤・レーン・スパイ冤罪事件」。それは防諜すなわちスパイ防止・取り締まりを名目に、国民監視・統制を強固にするための、見せしめとして捏造された冤罪事件だった。(吉田敏浩/写真はすべて筆者撮影)
◆特高警察は北大関係者をスパイ容疑者にリストアップ
特高警察の元締め、内務省警保局の外事課の内部文書『外事警察概況』に、「予て非常事態に備えて外諜容疑者名簿を整備し、綿密なる内偵を遂げ」と書かれていたように、特高警察は以前から「敵性外国人」であるアメリカ人のレーン夫妻、夫妻と交流のある日本人たちを警戒、監視して、密かに動静を探り、スパイ容疑者にリストアップしていたのである。そのブラックリストにもとづいて一斉検挙に踏み切ったのだった。
このように政府当局・公権力が敵視する外国人と交流のある日本人グループにスパイの疑いをかけ、ブラックリストを作って監視下に置き、内偵を重ねて検挙し、「スパイ冤罪事件」がつくりだされる恐ろしさは、けっして過去の話ではない。「スパイ防止関連法制」として「外国代理人登録法」が制定されたら、同様の筋書きで事が運ばれかねないのである。

一斉検挙された北大関係者7人の容疑は、軍機保護法違反の軍事機密の探知とその漏泄(漏洩)だった。
しかし、懲役15年や懲役12年を科された宮澤氏とレーン夫妻のケースを見ても、「軍事機密というにはあまりに些末な『事実』が重罪の原因にされたのです。宮澤弘幸の裁判の判決から例示すると、次のようになります」と指摘するのは、「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」事務局の大住広人さん(毎日新聞編集OB、88歳)だ。大住さんは同会発行の冊子『「スパイ防止法」を許すな!「宮澤・レーン・スパイ冤罪事件」を繰り返させてはならない』をはじめ『引き裂かれた青春――戦争と国家秘密』など、同会が作成した書籍や冊子の執筆・編集・監修を担当している。
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