アジア・太平洋戦争中の「宮澤・レーン・スパイ冤罪事件」。1941年12月8日の対米英開戦と同時に、軍事機密の探知・漏洩の軍機保護法違反というスパイ行為の容疑で特高警察に捕らえられた、北海道帝国大学学生の宮澤弘幸氏とアメリカ人で同大予科英語教師のハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻は、軍事機密とはいえない些末な見聞の事実を、特高警察によってスパイ行為に仕立て上げられ、非公開の裁判により探知・漏洩の罪で懲役15年や12年の重刑に処せられた。「スパイ防止法」制定の動きが強まるいま、国家権力が「スパイ冤罪事件」を捏造した歴史を振り返る意味が一層重みを増している。(吉田敏浩/写真はすべて筆者撮影)

◆軍機保護法により罪におとしいれられた北大関係者

昨年12月、「スパイ防止法」の制定を食い止めようと、市民団体「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」が発行した冊子、『「スパイ防止法」を許すな!「宮澤・レーン・スパイ冤罪事件」を繰り返させてはならない』によると、特高警察に検挙された当時22歳だった宮澤弘幸氏は、取り調べで特高警察による拷問も受け、裁判で1943年5月27日、上告棄却により懲役15年の刑が確定した。

そして、北海道・網走刑務所に収監され、1945年6月25日には宮城刑務所へ移監された。日本敗戦後の45年10月10日、「GHQ(連合国軍総司令部)の覚書(「政治的市民的及び宗教的自由制限の除去に関する覚書」)」の指令により釈放されたが、過酷な獄中生活での衰弱に加えて腸結核に罹り、47年2月22日、27歳で死去した。

レーン夫妻は1943年6月11日、懲役15年と12年の刑が上告棄却で確定し、「北海道内の刑務所に収監後、43年9月、(戦時の)日米交換船で母国アメリカへ送還」された。

宮澤弘幸氏やレーン夫妻など軍機保護法により罪におとしいれられた北大関係者(ドキュメンタリー映画『レーン・宮沢事件 もうひとつの12月8日』演出:秋元健一 企画制作:ビデオプレスより)(2026年1月23日撮影)

渡邊勝平氏と丸山護氏は1942年12月19日と12月16日、「軍機保護法等違反、探知及び漏洩罪で懲役2年。控訴せず確定。北海道内の刑務所に収監されたと思われるが、以後の消息は不明」のままである。

黒岩喜久雄氏は1942年12月24日、「軍機保護法等違反、探知及び漏洩罪で懲役2年執行猶予5年。控訴せず確定。戦後は農業関連の仕事に就いたあと、教師となって郷里・長野県にもどり、高校教育に尽力」した。
 
石上茂子氏は「検挙後、100日を超える勾留を経て1942年3月10日、嫌疑なしで釈放」された。

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