「軍が制圧」? 厳戒下の国慶~その2

yanagi_071013_2jpg.jpg【一般市民はパレードのおこぼれを参観】

いったいこのような「国慶」に何の意味があるのか。市民の関心は低く、実際、大手二紙は、ほとんど無視に近い扱いだった。
実は、台湾=中華民国という政治機構は、台湾人民のためにだけ存在してきたわけではない。

例えば、こうした「国慶」からは台湾のもう一つの背景がみえてくるのだが、それは、世界の華人の政治センターとしてのこの島の役割である。
華人たちはその出身地や国籍を問わず、心中に「祖国」を共有している。
中国が共産党に不当に占領されているとみなす華僑にとって、台湾=中華民国がその「祖国」であった。ただ彼らの心の拠り所は台湾の山や河にあるのではない。

中華五千年の伝統を受け継ぐ中華民国という抽象的存在が信仰の対象となっている。台湾=中華民国の「国慶日」はそのひとつのシンボルであり、だからこそ大勢の華僑が全世界から「帰って」くるのである。
台湾の「国慶」はそうした華僑を迎えるためにおこなわれており、陳水扁も台湾その歴史的役割を捨てきれないでいる。そうした矛盾した姿が今年の「国慶」そのものだったともいえる。

yanagi_071014_2.jpg【世界中から続々到着する華僑の団体】

台湾を独立させるということは、そうした役割とも、中華五千年への信仰とも、すっぱり縁を切ることでしか達成しえないのだが、果たして台湾の自称独立派にそれだけの覚悟があるのかどうか。

これは一人ひとりの台湾人にかせられた一つの精神的な試練でもある。
日本のメディアは、軍事パレードを中国に対する「示威」と報じた。しかし、こんな行列に中国ほどの大国が脅威など感じるものだろうか。

むしろ、パレードの対象は市民にあったのかもしれない。自分がまだ国軍に対してこれだけ指揮権を発動できることを誇示したかったのではないか。
国会議員選挙まで二か月、総統選挙まで四か月、政権の交代まであと半年に迫った。現在、陳政権にはなにを始めるか、わからないという不気味さがある。