2006年に中国で入手した北朝鮮から持ち出された偽米ドル札。北朝鮮から偽ドルを持ちだす専門プローカーがいる。(写真 コン・チョルス氏提供)

2006年に中国で入手した北朝鮮から持ち出された偽米ドル札。北朝鮮から偽ドルを持ちだす専門プローカーがいる。(写真 コン・チョルス氏提供)

 

平壌市の黄金原(ファングムボル)駅とキョンフン通り周辺の外貨商店(外貨でのみ販売する店)も、すっかり夜の闇に包まれた。いつしか人影も途絶え、もう両替をしに来る客もいそうにない。

路上にたたずんで、ぽつりぽつりと通りかかる通行人の様子をうかがっていた両替商の女は、今日はもう店じまいすることにし、ゆっくりと家路についた。ふと、後ろから誰かに呼ばれたような気がした。振り返ると、男が反対側から向かって来る女に手招きをしていた。二人とも「両替金」を持っていそうな身なりではなかった。

この両替商の女の夫は検事をしていた。
もうそろそろ職場から夫が家に帰る時間なので、女は家路を急ごうとすると、後ろから声をかけられ、また立ち止まった。振り返ると、自転車がこっちに向かってきていた。思わず「両替しましょうか?」という言葉が口をついてでたが、自転車は通り過ぎて行ってしまった。外貨を持っていそうな人だったが、先を急いでいるようだった。検事の妻は外貨商店のある一角を後にし家に向かった。

玄関の戸を開けて家の中に入ると、急に足の力が抜けて全身がだるくなった。
女は腰に巻いていたお金の入ったポシェットを外し、チャックのつまみをすっと引っ張ると、カバンの口から札束が見えた。彼女の口元が緩んだ。足を広げ、その間にカバンの中のお金を全部ひっくり返して出すと、それまでの疲れが一気に吹き飛んだ。

札束を揃え、中の一束を手にとって、指を舐め舐め数えはじめた。札を全部数え終わるのには時間がかかった。数え終わった札束を鼻先へ持って行き、においを嗅いでみた。汗のすえた臭いや手垢のしょっぱいような臭いがする。その札束を今度は胸元へ持って行き、抱きしめた。

これまでは、手の届かない存在だと思っていた三階に住む金持ちの「ジェポ」(日本からの帰国者)も、検事の妻にはもう羨ましくはなかった。海の向こうの親戚からの仕送りにすがり、一枚、また一枚と減っていくキジの頭(日本の旧一万円札)を数えながら、ちまちました生活を送る彼らと自分の立場は逆転したのである。

冷蔵庫もテレビも「ジェポ」のところよりも良いのを買った。家具も数日前に「ジェポ」のところのよりも高いものにした。服を買っても、靴を買っても、とにかく「ジェポ」のところより安いものは絶対に買わないようにした。食料品でもおやつでも、キムチの材料でも南国の果物でも、「ジェポ」が一つ買えば、検事の妻は張り合うように四つ五つと買った。それでも彼女の赤い絹のカバンにはドル札の束が日に日に増えていった。
「義兄さんはまだ帰ってないのか?」
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