中国など、和解と協力の時代に適応した社会主義国家に共通する点のひとつは、社会を混乱させる「階級闘争」を放棄したことだ。「階級闘争」という《社会発展の抑制装置》を現代世界の国家が、代々受け継いでいくということ自体、とんでもないことである。
思想闘争でもうひとつ押さえておくべき点は、今なお政治的「仮想の敵」を必要としているということだ。「仮想の敵」が存在しなければ思想闘争はその口実を失うのだ。

例えば、現在国内の主な「仮想の敵」は「深化組」(注3)であり、国外の「仮想の敵」は当然、米国や日本、そして韓国である。
この中で、現在ようやく米国との関係改善を目的とした「核外交」が行われるようになったが、「継続革命」「継続闘争」の原理で設計される政治状況にあって、「仮想の敵」との関係改善を後継者がうまく成し遂げられるか疑問である。

国力が衰退した今では、統一のスローガンも掛け声だけだ。実際に統一を進めるならば、思想闘争など溶解してしまうに違いない。
暮らしの改善を待つことに耐えられなくなってしまった民衆は、「仮想の敵」という目に見えない圧力から解き放たれたくて、その「仮想の敵」である韓国や米国と「一か八か戦争をやろう」と大っぴらに言うようになった。実は、そのような言葉の真意は、戦争によって政権が崩壊すればいいというものなのだ。

[3]《首領》 の地位は金正日でさえも継承していない
現在のような困難な状況の中であっても、朝鮮人に「朝鮮はどんな国なのか」と尋ねれば、皆が口を揃えて「首領に仕える国だ」と答えるだろう。
つまり、「後継」というならば、それは首領の後継でなければならないはずである。
歴史を振り返ってみよう。

一九六〇年代後半から一九七〇年代の初め、神格化された首領を制度化しながら、同時に後継者候補も選ばれた。つまり後継者候補にとっては、首領教育の時間が与えられたわけだ。

金正日は当時、党中央委員会の運営という強大な力を与えられ、唯一的指導体制を樹立、運営し始め、一九八〇年には公式に後継者となった。
しかし、金日成首領と金正日後継者の混在期間の約二〇年の間に、首領=象徴的或いは非世俗的存在、後継者=実力者或いは世俗的存在という認識が全社会に定着することとなった。人民にとって首領は、ただ報道や文学作品や銅像を通じてのみ会える存在だったのだ。

朝鮮における首領後継とは、まさにこのような地位と存在を継承することなのである。
ならば、金正日は一九九四年の金日成の死亡後、名実共に首領になったのだろうか?
この社会的・歴史的な疑問に対する答えは「否」である。
金正日は首領の使命には背を向けた。つまり人民的カリスマを持つ非世俗的存在、象徴にはなれなかったのだ。あるいはなろうとしなかったのかもしれない。
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