キルス一家はおよそ2年半の潜伏生活の間に30万個に及ぶ鶴を折っていた。北朝鮮民主化と韓国行きを願い、一枚一枚に各自の名前と、統一、自由などの文句を書いて折った。(撮影 石丸次郎)

キルス一家はおよそ2年半の潜伏生活の間に30万個に及ぶ鶴を折っていた。北朝鮮民主化と韓国行きを願い、一枚一枚に各自の名前と、統一、自由などの文句を書いて折った。(撮影 石丸次郎)

 

北京へ
6月中旬、大連の隠れ家で、文氏とキルス一家10人に会った。しかしこの時点では、一家の中でも意見は一致していなかった。万一UNHCR突入に失敗すれば、北朝鮮送還は避けられそうにない。

だがモンゴルなど第三国に密出国して韓国を目指す方法であれば、途中で逮捕されても隙を見て逃げ出せるかもしれない、そう考えた年長の少年3人は、別動隊としてモンゴル国境を目指して出発することになった。

一家のうちで最も気性が激しいのはキルスの母方の祖母のキム・チュノクさん(66)だった。一度捕まって強制送還された経験があるだけに、他の家族が迷いを見せても彼女の考えは明快だった。

 

キルスの母・チョン・ソンミさん。中国脱出後に写真館で撮った写真。2001年3月に中国公安に逮捕、北朝鮮に送還され生死は不明。

キルスの母・チョン・ソンミさん。中国脱出後に写真館で撮った写真。2001年3月に中国公安に逮捕、北朝鮮に送還され生死は不明。

 

「このまま中国で隠れ住んでいても、難民狩りがこうも厳しくてはいつかは捕まる。それなら、国連に乗り込んでいって世界中に訴える方がいい」
チュノクばあさんの強硬意見につられて、一家の方針は次第にラディカルな方向に振れていった。行動に最も消極的だったキルスの伯父リ・ドンハクさん(49)までが闘うと言い出した。

「飢えから逃れて自由を探しに出てきた我々に何の罪があるというんだ。国連に行って、我々の言うことが正しいのか、金正日の独裁が正しいのかはっきりさせようじゃないか!」
6月22日、一家は意思を統一してバスで北京に乗り込んでいった。
つづく >>>
(記:石丸次郎 - 2001)

<キルス一家7人の籠城・亡命事件>記事一覧

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