広島の原爆ドーム。被爆者の高齢化はすすみ、彼らに残された時間はわずかだ。
広島・長崎オリンピック招致よりもすべきことがあるのではないか。
(FILE/撮影:玉本英子)

原爆投下から65年。
原爆の悲劇は被爆者たちにとっていまも終わっていないという現実と、ヒロシマ・ナガサキによって始まった「核時代」がいまも続いているのだということを、この日が来るたびに認識させられる。
多くの被爆者が、そして被爆二世の私にとっては年老いた親戚たちが、核のない時代を見ることなく他界しなければならなかったことは本当に悲しい。
原爆慰霊碑には「過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。
核戦争という過ちは、運よく避けられたのかもしれない。
しかし、戦争という過ちはその後も幾度となく繰り返され、いまも続いている。
今年は、潘基文国連事務総長のほか、アメリカの代表としてルース駐日大使が式典に参列した。
「核兵器なき世界」を提唱してノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領のヒロシマ訪問を求める強い声があるのはわかる。
しかし、そのオバマ大統領は、イラクとアフガニスタンで米軍が遂行している戦争の最高責任者でもある。彼が始めた戦争ではないけれど、彼がすべてを引き継いだ戦争である。
「テロとの闘い」「世界の平和と安定」のための戦争によって、声をあげることすらできずに殺された人びとは、ヒロシマ・ナガサキで声をあげられずに一瞬に命を奪われた人びとと同じなはずだ。
これらの声なき声がどうして結びつけられて考えられないのか。
「なぜ、こんな戦争が起きてしまったの。なぜ、だれも止められないの。そして、私たちはなぜ殺されなければならないの」。
イラクとアフガニスタンから聞こえてくる「なぜ」という問いかけに、私たちは答えることができるだろうか。 (玉本英子)
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