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ヘラルドジャーナルの紙面

ヘラルドジャーナルの紙面

 

インターンとして働いた新聞社はユタ州の北部、ローガン市にあった。ローガン市は緑深い大学街だ。初めて足を踏み入れたその街は、かなりの数の牛が 草をはむ遊牧場が広がるゆったりしたところで、一方で健康器具や食品関連の工場などもあり、そこそこの賑わいを見せていた。街の東には背の高い山々が聳え ていた。(アイ・アジア編集部)

新聞社の名前はヘラルド・ジャーナル(Herald Journal)。発行部数は2万部弱で、人口5万人ローガン市全域をカバーしていた。州都ソルトレイク・シティの空港に着いた私は、乗り合いタクシーで 2時間かけて社に向かった。 到着すると、夜遅い時間だったにも関わらず、記者が広々とした清潔なオフィスに迎え入れてくれた。社屋が平屋なのがいかにも西部らしい。東部では新聞社は 決まってダウンタウンの古いビルの中にあったので余計に新鮮に感じられた。

次の日から、さっそくフィルム数十本を渡され、取材に出るようにフォト・エディターから指示を受けた。写真部はフォト・エディターが1人、そして写真記者が2人だった。それに、ストリンガーと呼ばれるフリーのカメラマンが1人出入りするだけで、かなりの小所帯だ。

そのため、インターンとはいえ、一面や日曜日の1ページ全面を使った写真特集を任されることもあり、やりがいのあるポジションだったと言える。ただ、いかんせん経験不足で、実力も無い私だったので、チャンスを生かしたとは言い難い。

私が入った時期は、ちょうと写真部で人の入れ替わりがあり、インターンの面倒など見ていられないといった雰囲気があった。写真記者の2人のうち、1 人は雑誌のデザイナーの仕事をサンフランシスコに見つけていて、すでにフォトジャーナリズムからは気持ちが遠ざかっている様子だった。もう1人は自分の能 力に自信がないのか、私と一緒に取材に出かけても、自分が撮ったフィルムだけ先に現像して、さっさと翌日の新聞の写真を選んでしまったりした。

フォト・エディターに至っては、超がつくお金持ちの女性と最近結婚したばかりで、自ら稼ぐ必要がなくなり、もともと興味あった自然や動物を専門に撮 るカメラマンとしての活動の準備を進めているらしかった。彼はたまにオフィスに現れては、「お前は運がいいな」と私に向かってつぶやいた。人が一気に減る 状況にあって、「いつでも行ける」と言った私を急いで雇ったのだ... そう言いたいらしかった。
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