戦後70年の節目の年、安全保障関連法案が国会で審議されている。抑止力となるのか、それとも戦争に巻き込まれるのか。戦争が起きればどうなるのか。元海 軍兵の瀧本邦慶さん(94歳・大阪市東淀川区在住)に、戦争体験を聞いた。瀧本さんは整備兵として航空母艦「飛龍」に乗り込み、42年6月のミッドウェー 海戦に参加。負傷し病院へ運ばれた。そこで新聞記事を読み、大本営と事実との違いに愕然としたという。 (矢野 宏/新聞うずみ火)

元海軍兵の瀧本邦慶さんさん(94)は整備兵として航空母艦「飛龍」に乗り込み、42年6月のミッドウェー海戦に参加した。壮絶な戦争体験に、集まった60名の市民は熱心に耳を傾けていた。(8月8日大阪市内で撮影・矢野 宏 新聞うずみ火)

元海軍兵の瀧本邦慶さんさん(94)は整備兵として航空母艦「飛龍」に乗り込み、42年6月のミッドウェー海戦に参加した。壮絶な戦争体験に、集まった60名の市民は熱心に耳を傾けていた。(8月8日大阪市内で撮影・矢野 宏 新聞うずみ火)

 

◆「実際は4隻も沈没したのに、大本営では2隻と報道」

負傷し、海軍病院へ入ると、「ミッドウェーの負傷兵はこの病棟に入って、一歩も外に出るな、他の患者と接触するな」と言われ、監禁状態にされた。後 日、看護婦がミッドウェー海戦を伝える新聞を持ってきてくれ、見ると4隻沈んだ航空母艦が2隻しか沈んでいないことになっていた。

「大本営は嘘をついている。今までもこんなことをやっていたのかという気になりました。政府、役人はその頃から都合が悪いことは隠して国民には嘘をついていたということです。それが戦争の一つの形なのです」

瀧本さんは退院後、トラック島の航空隊基地への配属を命じられた。着任して1週間後には米軍の大空襲を受けた。制海権も制空権も米軍に握られ、内地からの食糧や武器弾薬、医薬品などの輸送がストップしてしまう。それから半年後には、栄養失調で餓死する者が発生した。

「私は22、3歳。食べる物がないので、毎日、体力が衰えて痩せていき、餓死寸前までいきました。これほどつらいことはなかったです。我々下士官兵 に支給されるのは1日に小さなイモ一つです。島のジャングルの中に入って、丸い柔らかな葉や草を取ってきて海水で煮て食べました。青虫です。こんな生活が 半年続きました」

当時、トラック島には陸海軍4万人いたが、2万人が餓死したと言われている。

やがて、瀧本さんら5人に転勤命令が出た。転勤先はフィリピンのレイテ島。トラック島から2000キロは離れており、古い潜水艦で各島を回って人を 拾いながら運ぶのだという。順番を決めるくじ引きで、瀧本さんが引いたくじは5番目。4人がフィリピンへ行ったところで、「潜水艦が沈められた」という連 絡が入った。

「内地へ帰れないのは覚悟の上ですが、せめてトラック島よりも内地に近いところへ行きたいと思っていたから。2、3カ月して、通信兵が内地からのラ ジオを傍受し、レイテ島で太平洋戦争最大の決戦があった。陸海軍も玉砕したという連絡でした。私はそれを聞いてびっくりしました。潜水艦に乗ってレイテ島 へ行っていたら完全に死んでいます」(つづく)【矢野 宏/新聞うずみ火】

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