闇市場を徘徊する「コチェビ」の少年。親が死んだか養育を放棄した結果、膨大な数の浮浪児が出現した。1998年10月江原道元山(ウォンサン)市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)

闇市場を徘徊する「コチェビ」の少年。親が死んだか養育を放棄した結果、膨大な数の浮浪児が出現した。1998年10月江原道元山(ウォンサン)市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)

 

◆90年代初頭から始まった社会混乱

私が北朝鮮を脱出した理由の一つは、90年代の北朝鮮社会にマイナスの存在として登場した「コチェビ」としては生きられなかったからである。

日本や韓国とは違って、公に市民が討論する場がない北朝鮮で、「コチェビ」とは人格喪失者に過ぎない。即ち、機能や欲求は有しているが、社会的アイデンティティーと人格を失ってしまった者たちなのだ。その最大の特徴は、人間としての羞恥を失ってしまったことである。

当時、多くの人々が、そのような「コチェビ」になることを拒否して自ら息を引き取った。私もその自殺者の仲間入りをしようとしたが、意識を失った私は、親友らの助けで生き返ったのである。1995年のことであった。

その前年の1994年、金日成の死は、現代北朝鮮史に一つの巨大な終止符を打ち、その追悼行事のために全国の農民市場が閉鎖した。国家配給は、すでに80年代から断続的、地域的に中断されていて、その補完としての農民市場は、配給と共に二大国民食糧供給源を成していた。

92年には、首都平壌までが部分的に配給停止になるなど、社会不安は増大一路で、未知のパニックはその潜在エネルギーを増し噴火口を探していた。

94年の秋は収穫があったにもかかわらず、配給停止は一部地域ではなく全国に完全に到達した。そして95年、祖国解放50周年の年に、犯罪、闇米運び、男の商売、「コチェビ」という4大噴火が起こった。全社会的にこれまであり得なかった行動が集団的に一斉に始まった。この50年間で初めて、公然と米が市場で売買された。

収入を失った青壮年が、女を押しのけながら商い秤を握って市場に立ち並んだ。捨て子が駅と道端を泣きながら這い回り、人の死体があちこちに転がった。朝鮮の歴史上初めて、平凡な多くの女が飢死から逃れようと体を売り始めた。

この時期、一般住民には3つの選択肢だけが残っていた。それは即ち、死ぬこと、犯罪に走ること、そして「コチェビ」になること。日本からの帰国者の場合、日本の親族に送金を請うという選択肢もあったと言える。

疑う余地もなく、都市住民の個人商売や、勝手な職業創出は、当時の商業及び労働制度下では、すべて犯罪であった。教員の私も例外でなかった。私が始めたのは醸造だった。家族を飢死させてはならないという責任感と不安、市場に巻き込まれる社会の流れに押され、私は醸造技術を文献で調査し、大学の化学実験室の友人からは蒸留冷却器を、生物分院からは「質の良い」アミラーゼを購入して、深夜ごと遮光幕を掛けた台所で焼酎を製造したのだ。

その品質は、皆口をそろえて良いと好評だった。だが採算が合わない。その原因を解明した結果、農民市場で原料を購入していては必ず赤字になるという「北朝鮮の市場経済の法則」を初めて発見した。即ち、「知識や労働の付加価値は売買されない」という経済社会的な作用があったのだ。

いわばマーケット型密造酒業の場合、「利潤」を得られるのは二つだけであった。酒粕か、他のアルコール成分によってエタノール濃度を増やす欺瞞だけであった。権力者の酒の密造だけが黒字を産むように「北朝鮮市場経済」の構造はすでに固く構築されていたのだ。※(続く)

整理者注
※権力者たちは、国内生産分であれ外国からの支援分であれ、穀物を横領してタダ同然で酒を密造し販売することができたということを意味すると思われる。

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