北京のUNHCR事務所に駆けこむ直前のチャン・キルス一家7人。緊張がみなぎっている。2001年6月撮影石丸次郎

 

韓国と中国は1992年に正式に国交を結んだ。だが、改革開放政策に転換した中国が、同盟国の北朝鮮に気を使いながらも、経済発展箸しいもう一つの朝鮮半島国家・韓国との交流を始めたのは80年代中盤のことだった。

北朝鮮が敵意を露にして、社会主義陣営国の参加阻止に動いたソウルオリンピックに中国は参加する。これを機に対話と交流が進み、90年ごろには中国朝鮮族の韓国訪問や、韓国人観光客の中国訪問も活発になった。反対に北朝鮮は経済の転落が加速度的に早まり、かつて「血で結ばれた盟友」と互いを呼び合った、朝鮮戦争以来の同盟関係は終止符を打つことになる。

北朝鮮から越境者・難民が出はじめた95年ごろ、真っ先に難民たちに手を差し伸べたのは中国の朝鮮族だが、中国に駐在したり旅行で訪れたりした韓国人が、北朝鮮の惨状に衝撃を受け、早くも脱北難民支援を始めている。もっとも、当時は組織だったものではなく、個人で匿ったり生活費を援助したりという程度だった。

難民救援活動が組織的に始まるのは97年頃である。中心になったのは韓国の仏教系組織「よき仲間たち」(旧名・民族相互助け合い仏教運動本部)、やキリスト教系の団体であった。国境地帯を巡回して渡河してきた人々に食糧や衣服、薬を提供したり、避難所・隠れ家(シェルターと呼ぶグループもある)を作りはじめる。

難民支援団体といっても規模も性格も千差万別である。構成メンバーの国籍も多様化している。活動家の国籍は韓国、朝鮮(在日)、中国、日本、米国、カナダ、ベルギー、独、仏などだ。規模も個人の活動に毛が生えた程度か、市民運動レベルがほとんどだ。

例えば、2001年の北京にある難民高等弁務官事務所(UNHCR)2002年の瀋陽事件を主導した「キルス家族救命運動本部」は、「本部」と名乗ってはいるが支部があるわけではない。もともと中国と小商いをしていた韓国人貿易商が、ビジネスで訪れた吉林省で北朝鮮難民の悲惨な境遇を知って始めたものだ。

実質的には韓国人メンバー2人と手伝いをする中国人数人という程度の規模である。駆け込み支援活動でメディアに乗って大きく報道されたために大組織と誤解されがちだが、個人運営だ。その他の団体も、ほとんどは個人が手弁当でやっている規模を大きく超えない。キリスト教系の組織の大半も、核心メンバー数人で粛々と保護活動をやっている。

一方、年間予算数千万円を超える大規模な組織もいくつかある。先にあげた韓国の仏教系組織「よき仲間たち」や、大規模教会をバックにしたキリスト教系のいくつかの団体だ。キリスト教系の団体のなかには、北朝鮮と中国での宣教を目的とし、その一環として難民支援をしている組織もある。布教のため北朝鮮に戻る難民も出現しはじめた。

規模も性格も多様だと述べたが、概していうと、大規模組織は現地での保護・調査活動と北朝鮮への独自の食糧支援が中心で、中国からの密出国と韓国入りには関わっていない。これは、中国での合法活動の比重が高いために、穏健な活動中心にならざるをえないからだろう。どこまでが合法活動なのか、線引きは難しいが。

一方、数の多い小規模グループは、98年頃から先に述べた様々なルートを通して、第三国に難民を送り出しはじめた。小中規模の支援組織は財政的にも苦しく、終わりの見えない保護活動に限られた支援資金を使うより、抱えている難民をいっそのこと逃がしたほうが楽だという事情もあった。

保護活動は、個々の難民たちにとって一時的な庇護にはなっても問題の根本解決にはならないのだ。また、中国での活動が長くなるにつれ、安全で安く中国外に出すルートが開拓され、ノウハウも蓄積されていったことも韓国入り急増の理由だ。

こうして韓国入りを果たす北朝鮮難民が倍々に増えてきたのである。ところが、中国当局は北朝鮮難民を逮捕送還するだけでなく、隣接国に非合法に出国するルートの遮断も始めた。2001年に入るとモンゴルルートがほぼ壊滅状態になり、難民たちも支援団体も途方に暮れはじめた。そして「駆け込み亡命」という過激な方法が検討され始めるようになる。
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