そう、すべてが実感だったと思うのですよ。
野中
開祖であるお父さんが、例えば中国に行って、ひょっとしたらアジアの解放とかというようなことを考えたかも知れませんし、そういう当時の思想みたいなもの、世の中の主流を占めていた思想みたいなものに影響されていたのだと思うのですが…。ですが、先ほど由貴さんもおっしゃったように、現実は国家に裏切られたり、必ずしも理想通りにはいかなかった。人間の利害だとか、人間の醜い部分だとか、いろいろなことを見ていく中で、「自分というものをしっかり持たなければいけない」というふうに、感じられたのではないかと思うのですね。自己というものをきちんと持った上でないと、社会と関わっていくということや、社会に対して何かをするというようなことはやはりできないと思うのです。だからまず、自分をしっかり持つ、そういう自分になるためのひとつの道具、もしくはひとつの訓練として少林寺拳法というような技を身につけていくということを考えられたのではないでしょうか。
野中
少林寺拳法は自己確立を説いています。最初におのれを確立しないと他人にかかわることもできないと説いていることや、すべてを他人に依存するのでなくて、すべては自己の中に、自己を見つめて、自己の中によるべきものがあると言っています。多分、お父さんはそういうことを中国で実践されたということになりますか。

そう、すべてが実感だったと思うのですよ。
野中
開祖であるお父さんが、例えば中国に行って、ひょっとしたらアジアの解放とかというようなことを考えたかも知れませんし、そういう当時の思想みたいなもの、世の中の主流を占めていた思想みたいなものに影響されていたのだと思うのですが…。ですが、先ほど由貴さんもおっしゃったように、現実は国家に裏切られたり、必ずしも理想通りにはいかなかった。人間の利害だとか、人間の醜い部分だとか、いろいろなことを見ていく中で、「自分というものをしっかり持たなければいけない」というふうに、感じられたのではないかと思うのですね。自己というものをきちんと持った上でないと、社会と関わっていくということや、社会に対して何かをするというようなことはやはりできないと思うのです。だからまず、自分をしっかり持つ、そういう自分になるためのひとつの道具、もしくはひとつの訓練として少林寺拳法というような技を身につけていくということを考えられたのではないでしょうか。
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