僕の母親は女学生のころ、「野中家」に養子に入ってきました。そこの跡取りが戦争に行ったため、もし戦死すると家が途絶えるというので、母親が養子となったわけです。戦地に行った跡取りという青年は、野中昂という人で、彼の話は、母親から何回も聞いていました。先ほどの由貴さんのお父さんの話と似ているのですけれども。彼は独身のうちに中国戦線へ行くわけです。彼はすごく体格がよくて、徴兵検査で甲を付けられました。中国へ行って、何年か戦った後、一応任務を解かれた形で僕の郷里である兵庫県へ帰ってくることになっていました。彼が帰ってくるということで、皆で迎えに行ったそうですが、全然帰ってこないわけ、日本にね。「どうしたのだろう?」と僕の母親たちが思っていたら、ちょうどその日に「日華事変」が起きていたんです。彼が除隊となったその日の朝、「日華事変」が勃発して、除隊は取り消しになっていたのですね。そのとき彼はすごくがっかりした。これで故郷に帰れると思ったら、そのままずっと中国戦線で…。
その後、しばらくしてから 鳥取の赤十字病院から電話があって、「今、野中昂という人が病気で中国から帰されてきました。もう長くないからすぐに来てください」という知らせが入ったのです。それで母親の兄貴(僕の叔父)が、姫路の方から鳥取の赤十字病院に行くわけです。面会したら、野中昂は「ほんまにえらい目に遭ったんや」と、たった一言だけ残して死んでしまったそうです。病気ゆえか身体もぼろぼろになっていて、本当にかわいそうな最後だったということです。そういった話をいろいろ聞いている中で、「戦争を起こしてはいけない」という意識が生まれてきたのです。
僕自身も戦後生まれになりますから、もちろん日本の戦争というものは経験していません。ですが、戦争がもたらした人間の悲しみというものを、自分の中のどこかに刻み込んできたのですね。
(続く)
宗由貴(そう・ゆうき)
1957年、香川県生まれ。1980年、少林寺拳法の創始者である、父・宗道臣の後を継ぎ、少林寺師家第2世宗道臣を襲名。2000年、少林寺拳法グループ総裁に就任。

少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第1回
少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第2回
少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第3回
少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第4回
少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第5回
少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第6回
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少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第9回(全9回)

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