「開祖と娘~自分の感性を信じなさい」
(少林寺拳法グループ総裁・宗由貴と野中章弘(アジアプレス)との対談です)
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野中
少林寺拳法に対して、由貴さんはそのように考えておられるわけだけれども、組織の指導者や幹部の人たちはいかがでしょうか。由貴さんに同意する人というのはたくさんいらっしゃいますか。

最近はいますよ。
野中
最近は増えた、ということ。

一時はすごく浮いていましたからね、私。
野中
そう、そうだよね。

少しずつ増えてきたな、と実感していますよ。一度か二度ほど、組織の中で浮いたからよかったのかなとも思っています。そのように浮いてしまったり、それによって主張するのをやめたりしていたら、私はトップでいる必要はないと思っています。
野中
そういうふうに言い続けなければいけないとか、何かを変えていかなければいけないというその意思というのは、やっぱり自分のお父さんから聞いてきたようなことが原点になっていると思いますか。

そうですね。やっぱり自分が子供を持つようになって改めてわかるんですよね。父がなぜ、そのような話しを娘に繰り返して伝えてきたのかということが。この間、息子が久しぶりに日本に帰ってきて、お薦めの本はない?って、聞いてきたんです。それで私は、なかにし礼さんの『赤い月』を薦めたんですよ。というのは私、まさにあれ少林寺拳法の開創の動機と目的に出てくる開祖の大陸での経験そのものだから、そこで何を感じるか読んだ後で話をしよう、と薦めてみたんです。まぁ本当に読むかどうかは、息子の自由だと任せて。そしたら、息子が本当に読んだらしく、その後でメールをくれたんです。そのメールには、今度ゆっくり話しようね、と書いてあって。すごくうれしかったですね。それって、息子に「伝えられた」ということですよね。しつこいほど父親に言われて伝えられてきた私の思いよりは、温度は低いかもしれないけれど、「伝えることは不可能じゃない」と改めて実感しました。
野中
ご自身の息子さんなどへ語りかけていく中で、何かやっぱりちゃんと手応えがあるというか、反応があるというのがわかるわけですね。

わかりますよね。それだけでなく、最近はあちこちで講演したりすることがありますが、いわゆる少林寺拳法以外の場での講演をする機会が結構あるんですよ。それはほとんどが教育関係なんです。
少林寺拳法の演武を見せてくれというのではなく、人づくりについての話を、という依頼をよく受けます。私にしてみれば、そういう部分にこだわっているのが「少林寺拳法なんだ」というのを理解してもらえるだけでいいんですよね。
開祖が言いたかったことというのは、いわゆる技の普及ではないから、それでいいと思っているので受けているんですよね。最近では少林寺拳法内部の講演も頼まれます。大抵、そういった場での話は、父が娘をどのように育てたのかとか、その中で一番基本になっている私という人間の「もと」になっている部分などに触れるのです。
そうすると、やっぱり最後には「平和」というところへ話の結論がいくんです。だから、イラクの話など、思うままにそういう話をするんです。そうすると、予想されることは「以前のように反論がたくさん来るのではないか」ということ。ですが、そういった反論はむしろ最近来ないんですよね。反対に、改めて見方を変えました」などの意見が寄せられることが多いのです。
野中
僕が由貴さんに最初に会ったときは、確か17年前でしたよね。

17年前ですね。もう大昔になりますね。
野中
87年でしたか…。

当時、すでに子供がいたんですよ。
野中
そうだっけ。ああ、そうだよね。

29歳でした。
野中
そうだよね。お父さんが亡くなって、その後引き継ぐということね。

当時、ただ「少林寺拳法はすごい」としか思っていなかったんです。
野中
確かにすごいんだよね。武道の団体として全国的に会員も多かったしね。

だけど、当時の私の「すごい」という印象は、その意味が違ったんですよ。やっぱり父の影響が強すぎて、「そういう人ばかり」の集団だった…。
野中
と思ったわけね。ああ、そうか。

だから「格好がいい」と単純に思っていたんですよ。どこが格好いいのと言われたときに、はじめて疑問に思ったんですよね。その後、いろいろ組織を知れば知るほど、父と同じような人ってどこにいるの?みたいな。
野中
ああ、そうか。

父と同じような考えの人は、いないわけではなかったんです。いるのだけれども、残念ながら少なかった。「ただ技術が大好き」という人がいっぱいいたんです。これってすごく技術を粗末にしていることではないかなと思いましたね。
野中
そのときにまだ20代だった由貴さんは、一応開祖の娘ではありましたが、少林寺拳法の達人というわけではなかったんですよね?。

段位もっていませんから。
野中
だから結局、由貴さんが伝えられることというのは技術ではなくて、やっぱりその精神ということになるよね。

だからこそ、浮いていたんですよ。
野中
だけど、20代の女性がそれを継ぐというのは大変だったでしょう。開祖は何歳で亡くなったんでしたっけ? 69歳でしたか?

69歳です。
野中
でしょう。しかもあの動乱の時代をぎりぎりのところで生き抜いてこられた方でしょう。

そうですね。ずいぶん違いがありますよね、私の時代と比べたら。
野中
そうですよね。それを受けとめる触媒というか、彼の娘であっても、それはそのまま自分のものとなったり、自分の言葉ですぐにほかの人に語りかけたりというようなことは、それはやっぱり不可能なことでしたか。

実感しないとやっぱり難しい、できないんですよね。
野中
後継者となってからのこの20年間、由貴さんは戦争の中で生きてはこなかったけれども、ある意味、人と人とのいろいろな問題や、それから組織を動かしていくということの難しさだったりなど、そういう中でひとつひとつの開祖の言葉が由貴さんの心の中へ落ちて、そして自分の言葉として語れるようになった。そういうプロセスの20年であったのでは?と思うのですが。

そうですね。本当に最近ですよね。父の言わんとしたことが何となくわかり始めたのが13年前で、そして実感を伴ってそれを理解するようになったのはごく最近ですよ。
野中
何となくね。

本当に、今さっきおっしゃった、心に浸透したというのはここ2年か3年です。ここ1年近くというのは、私が思ったことはそのまま言うようにしているんですよね。
野中
ずいぶん昔よりもはっきり物を言うようになったよね。

そうですね。ですが、さすがに会報ではちょっと我慢していますけれども。
野中
さすがに?

いろいろあるので我慢していますけれども。ですが、相手が誰であろうとなぜ開祖は言いたい放題言っていたのかと考えてみたんです。国を左右する、非常に重要な岐路に立っているようなときに、開祖は何かをはっきりスラっと言っているんです。例えば、自衛隊のマークが変わったとかなんとかという話などね。だから本当にそういう、ひとつの勘なのでしょうかね。
野中
やっぱり。

そういうの、父はあったから。
野中
あるわね、感覚がね。

父は、何か「このまま行っちゃいけない」というのがあったときに言っているんですよね。「人間は変われる」ということと、それから「感性を信じろ」ということをよく言っていました。ところが最近ある人と話したら、変われるということはよく聞いたけど、感性を信じろということについては余り聞いた覚えがないという人がいて…。
野中
ああ、開祖から聞いたことがないということ?

驚きましたね、それには。だって私はずっと聞かされてきたと思っていましたから。よく振り返ってみたら、「感性を信じる」というのは私の言葉だったんですよ。でも、開祖は「アンテナ」として話していたんですよ、「アンテナ」。
野中
「アンテナ」ね。

そうしたら「周波数は幾つですか?」とボケた質問をした人がいたそうで。何をばかな質問をという笑い話もありましたが…。要するに「感じる心」をどのように育んでいくのかということです。そのためには経験も要るし、知識も要るし、いろいろなものが要りますよね。だから、とにかくいろいろなことを勉強しろよと、そう開祖は言いたかったのだと思います。それは、いわゆる学問ということではなくて経験を含めてという話をずっとしたことからも読み取れます。つまりは「感性を信じるということ」なんですよね。でも信じるためには、それを自分が努力してやっていかなければいけないというか…。
野中
そうね、磨いていかなければならないからね。

それがすごく最近、「あっ、こういうことだったのか」というように更に感じるところがあるんです。せっかく自分の感性に何か響いて感じているときに、それをそのままにするということがすごく何か最近、特に罪なことのような気がして、人として罪を犯しているような気がすることが多くて、だからこそ、その感じたことを言おうと思っています。 (続く)
宗由貴(そう・ゆうき)
1957年、香川県生まれ。1980年、少林寺拳法の創始者である、父・宗道臣の後を継ぎ、少林寺師家第2世宗道臣を襲名。2000年、少林寺拳法グループ総裁に就任。