日々の練習によって少林寺拳法の技が上達するとか、それはそれで自信を持てることにつながると思うのですが、その自信の持ち方を間違えると、これはかえって少林寺拳法の世界にとって逆効果になるのです。父は「何のために少林寺拳法を習得するのか」ということにものすごくこだわった人だったんです。
最近になって、私は「ああ、そうか」と分かったことがありました。それは、父のそういう「生きる力を持たなくては、自己確立しなくてはならない」と思うに至った原点というのは、父の妹との関係がもたらしているんですね。
父は、小さいときに両親を亡くして、妹が2人いました。ですが、その妹も亡くしているんですよね、大陸へ行く前に。両親がまだ生きていたころ、母親が父に暴力を振るわれたときに助けてあげられなかった悔しさなど、そういう話などを私はもう何度も聞かされてきました。
その後、父親も母親も亡くなり、父と姉妹たちは親がいなくなったので預けられるんですよね。妹たちは、たまたま母親がある宗教団体に入信していて、そこの施設に預けられたのです。
私はずっと、この妹たちのことを物語のように聞かされてきました。特に聞かされたのが、智恵子という妹のことです。この妹が最後に病気になってしまって、父は施設に呼ばれたそうです。久しぶりにお兄ちゃんに会えてうれしかった妹は「おまんじゅうが食べたい」と言ったんですって。父は、「これは何とかしなければいけない」と思ったそうで、夜におまんじゅうを買いに行ったんです。夜でしたから、おまんじゅう屋さんは閉まっているんですね。ですが、父は木戸を叩いて外に出てきてもらって…。当時、甘い物というのはすごく高価な食べ物だったんです。父がその時に持っているお金では1個も買えないほど。だけど、父は事情を説明して、ひとつだけおまんじゅうを分けてもらったのです。妹に食べさせてやろうと思い、「ほら、持ってきたぞ」と言って食べさせてあげようとするけれども、結局、彼女は食べられなかったそうです。それで、そのまま父の妹は死んでしまいました。その話を、父は泣きながら何度も私に話しました。「してやりたいと思ってできないつらさ。もっと自分に力があったら、もっと早く妹をそこから引き取ってやれていたら」という思いがすごくあったのでしょうね。何かしたいと思っても、自分に知恵とか力とか、それがなかったら何もできないという思いがすごくあったのだと思います。そして、それが父の原点だったんですね。
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