「うつろな空間」 

photo1005.jpg靖国――。小泉前首相が終戦の日に参拝した朝、自称台湾原住民の一行がその付近にあらわれ騒動をおこした、と一部メディアは伝えた。
リーダーは高金素梅(ガオチンスーメイ)という台湾の女性国会議員で、テレビの画像では、その周りを屈強な男児が取り囲み、警官隊ともみあっている。

この議員のことは、すでによく知られている。小泉首相や日本国を相手取って靖国訴訟をおこし、昨年六月にも数十人の原住民を率いて神社の前に現れた。

いままで伝えられてきた台湾原住民族(かつて日本は高砂族と呼んだ)とイメージを異にする姿だった。
おそらくマスコミ各社は、台湾の知人にいっせいに問い合わせたはずだ。高金素梅とはそもそも何者か。あれはほんとうに台湾原住民を代表する人たちなのかと。

その結果、マスコミの対応は昨年も今年も割れ、高金素梅の評判を聞いて、掲載を見送ったところが少なくなかった。

しかし一方で、原住民枠ながら連続当選するだけの薄く広い支持基盤があり、台湾の各原住民族を網羅するほどの秘書軍団(警官ともみあっていた男たち)を雇用し、毎年数十人の同胞を日本へ連れて行くほどの経済力をもっている(資金源は不明)。成り立ちにいかがわしさがたちこめ、行動・言動がステレオタイプ的であっても、それに代わる「まともな?」集団があるというわけでもないなか、メディアとして、どう扱うべきか。私にも確信はない。

ただ彼らは、台湾研究者の間でも、ついつい話題にのぼらざるをえないという存在感をもちつつあるのも事実である。
私は京都の出身で、母親も祖父母も空襲の経験がなく、親戚の誰々が戦死されたという話もきいたことがない。そのせいか、子供のころから家庭で靖国神社が話題にのぼったという記憶がない。

そういう私が初めて靖国の境内に入ったのは、台湾に渡って以降――1995年3月台湾人元日本軍人軍属(以下元日本兵)とその遺族の一行約八十人の日本旅行に同行した際、彼らと一緒に「参拝」した。一行のうち原住民は、「戦友にあえる」と興奮していたが、漢民族の人たちに深い感慨があるようには思えなかった。

その二三年後に、父親の戦死を確認したいという原住民の台湾人女性に付き添って当時の厚生省を訪問したときに、「お父上は靖国に祀られています」と担当者に聞かされ、女性が行きたいといったので、同行した。受付で名簿を確認したあと、本殿に案内された。板敷きの厳かな空間に座っていると、神官の大きな声が響いてきて、そのなかに父親の名を聞き取った彼女は嗚咽した。

第二次大戦中、台湾人男性もおよそ二十万人が日本の軍人軍属として動員された。そのほかに看護婦や看護助手として戦地に赴いた女性も少なくない。親族・友人を亡くした人にとって、親しき人たちの霊がせめて日本のしかるべきところに祀られているということは、なんらかの慰めになっていることは確かである。なにしろ、日本政府は一貫して彼らの「奉公」にまっとうに報いようとしてこなかったのだから。

靖国というのは、ひとつの空間に過ぎない。国家が国民を戦争に動員するために創出した巨大なトリックの装置である。そのトリックを信じるか信じないかはそれぞれの「気持ち」の問題である。小泉さんも「これは気持ちの問題だ」と言って参拝し続けた。

私がこの間に出会った原住民の元日本兵たちは(当然ながら奇跡的に生還された)、異口同音に、あのときは「ヤスクニで会いましょう」という気持ちで、生きて帰るとは思いもしなかったという(よく知られているように彼らの大半は「志願」という形で出征した)。当時、日本人(具体的には教師や警察官)は、戦場で死ねば英霊として祀られると、植民地下の青年たちを教育し鼓舞した。
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