合点がいった。交代して帰ってしまった司令を呼び出すために、友人がこの人の家に行って、警備電話を借りたのだった。
とにかくすごいやつだ。あんな短時間に、助けてくれそうな適任者を探し出し、自分の目的を円滑に達成できる人間はそうはいまい。
彼に権力の下で貿易指導員などさせるのはもったいない。まさに未来型の人間だ。

友人の隣に腰掛けた新参の客は、寝台車の乗客から馴染みのない平壌の雰囲気を感じたせいか、最初は戸惑っていたようだった。
だが、私が注いであげたコップ酒を、つまみもなしにひっかけるとたちまち陽気になった。やっぱり咸鏡道の男だ。
周囲の様子をきょろきょろ窺いながら口元をもごもごさせているところを見ると、彼は何かを話したくて仕方がないようだ。
私が一言二言水を向けると、彼は堰を切ったように話し始めた。

彼はまず、自分は剣徳(コムドク)地区(注2)で働く事務員だと自己紹介し、次のような話をした。
つい最近まで、剣徳鉱山は共和国の中でも一番生活の苦しい場所だったのだが、少し前に中国と合弁するようになってからというもの、鉱山住民の暮らしはみるみる良くなってきたというのだった。

国内事情はもちろんのこと、国外の情報にも詳しい我々にとっては、耳新しい話ではなかった。それでも彼の話には我々の興味を引くものがあった。
現地の住民が、名前も知らないよそ者の前でこんな話をするなんて、よほど嬉しいのに違いない。
(つづく)

(資料提供 2006年8月リ・ジュン 整理:リュ・ギョンウォン)
注1 北朝鮮で「テコ」という日本語が、そのまま仲介屋、ブローカーという意味で使われている。少なくない商売用語に植民地時代の日本語が残っているのは興味深い。
注2 咸鏡南道の端川市の北大川(プクデチョン)流域の山には、鉛、亜鉛の精鉱を産出する剣徳鉱山の他、マグネシアサイトの豊富な鉱山がいくつもあり、70、80年代には国家の外貨稼ぎの重要拠点であった。

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