市場の隅にミシンを持ちだして営業する裁縫工の女性たち(2005年5月平安南道安州郡 リ・ジュン撮影)

 

我が国の経済動向 7
市場がつくりだした分業
ケ・ミョンビン:二番目は、ジャンマダンの分業だ。
ジャンマダンの刺激によって、ついに分業が形成される段階がやってきた。生産にも飴玉を作る個人業者、揚げパンを作る業者、履物を作る業者などが現れた。販売にも、風呂敷を担いで回る商売人、金が貯まるとジャンマダンに座って売る商売人、あちこち店を移動しながら大小の卸しをする商売人、そして、(人や物の)紹介を専門にする仲介業者までが分業として形成され、全国網を完成していったのだ。

例えば、「ソレギ」と呼ばれる生産販売業(一種のマニュファクチュア運営者)のケースを紹介してみよう。
「ソルダ」という言葉は、布地(反物)を一度に積み重ねて、型紙にしたがって切る行為を言う。その布の量があまりにもたくさんあるように見えるので、転じて、この生産販売業を「ソレギ」と呼ぶようになった。国営工場でなければ到底できない程の、大規模の衣類生産をしているある女商人は、自分の金を投資して、規模を大きく拡大した。
青年同盟が、テコンドー競技大会のために、青年学生たちの団体服の準備をしていた。この情報を知ったその女商人「ソレギ」は、中国国境都市の商人に必要な量の布地を注文した。輸入工程だ。

次に、輸入された布を「買った(雇用した)」人々に裁断させる。これは裁断工程。そして、裁断された布を個人の裁縫工たちに委託し製品を完成する。加工工程だ。
このようにして作られたテコンドーの服を受け取りに来た商人に、「即払い」でいくら、「後払い」でいくらと分割払いで卸す。これは販売工程。
こうしてテコンドーの服は、市場に、家々にと、あちこちに普及していったのだ。
「ソレギ」が運営するこのような衣料生産体系は、新しい需要が発生すれば、また衣料を生産するために再稼働する。
(社会主義的な意味での)正規の職場を持っているわけでないのに、女性たちは分業的に仕事を引き受け、外国から布地を注文輸入して、ジャンマダンの需要を、迅速かつ十分に満たしているのだ。計画経済は、こんなことをしようともしなかったし、できもしなかった。
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