90年代の朝鮮人の主食はトウモロコシだった。写真は中国に脱出してきた人に作ってもらったトウモロコシ粥。水分で腹は膨れるが、腹もちが悪く、すぐ空腹になる。(1999年 石丸次郎撮影)

90年代の朝鮮人の主食はトウモロコシだった。写真は中国に脱出してきた人に作ってもらったトウモロコシ粥。水分で腹は膨れるが、腹もちが悪く、すぐ空腹になる。(1999年 石丸次郎撮影)

 

北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 5
「18号管理所」での生活

◆採炭工
「管理所」で、私たち家族はリョンドン坑道、ハンジェ坑道、ハニョン坑道の採炭工、掘進工として働くよう命じられた。
家族をばらばらにしてそれぞれを違う坑道に配置した。
私たち息子たちは若かったのでまだいいとしても、年とった父は予審を受ける過程で体も衰弱しきっており、一度も経験したことのない炭鉱の仕事をするのは困難だった。

私たちは、父だけはどうか石炭拾い(坑道の外や坑内に落ちた石炭を集める仕事)に回してくれと必死でかけあった。
炭鉱の仕事は三交代制だった。昼番は朝八時に始まって午後四時まで、中番が午後四時から午前零時まで、夜番は午前零時から朝八時までだ。
この三交代で一日も休まずに採掘を行うのだが、実際に坑道にいる時間は規定の時間をかなり越える。

例えば、昼番は午後四時までのはずだが、普通は午後六時まで坑道にいなければならない。中番は午前零時までだが、だいたい午前一時まで残っている。
シフトは毎週変わるが、場合によっては、昼番が終わればすぐに夜番に続けて入らなければならないこともある。坑道と家を歩いて往復する時間もあるので、四時間も眠れない状態で再び仕事に入らなければならない。これを「ダブル」と言うのだが、最も疲れるシフトだった。本当に疲れた。

「ダブル」の時は、夜番を終えて、生活総和を行って石炭拾いもやっていると家に帰るのは昼の一二時くらいになってしまう。
この場合、朝飯としてあらかじめ弁当を準備しておかないといけないのだが、配給がとても少ないため弁当まで作ることができない。それで結局、一食抜くしかない。

本来、掘進工なら国家から配給される食糧は一日に白米九〇〇グラムとなっているが、「管理所」では白米をもらったことは一度もなく、まるごとのトウモロコシだけであった。それも本来の配給量分をくれるならまだしも、あちこちでピンはねされて五〇〇グラムになるかならないかだ。
結局、一日にかろうじて二食だけ食べて、地下の坑道で働かねばならないのだ。

配給は「街頭生活」(町内の組織活動)をする母がもらってくるのだが、配給量があまりにも少ないため、母はいろいろ苦労して食事を作ってくれていた。
大の男が坑道で石炭を掘るのに、トウモロコシ飯くらいは食べなければ力が出ない。ところがそれを準備するのは容易ではない。
トウモロコシを剥くと、芽や殻などの屑がたくさん出る。これでは効率が悪い。量が少ないと、一日じゅう坑道に入って採掘することなどできやしない。
それで、配給のトウモロコシを、母はすべて粉にした。だから食事はいつもどろどろのトウモロコシ粥だった。そうしなければ、配給量が少ない時は水のような粥を食べるはめになるからだ。
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