つまり、金総書記は、七月二七日に江原道に駐屯するオ・ジュンフプ近衛区分隊を視察していたというわけである。
記者シン・ドソク(申導石)は二〇〇六年一二月、江原道元山(ウォンサン)で軍隊関係者に会って取材を試みた。
場に集まった人々ができるだけ気楽に具体的な事実を話してくれるよう宴席をもった。その効果があったのか、録音テープには北朝鮮出身の整理者が驚くほど、露骨で危険な発言が飛び出していた。

以下の文章は、二〇〇三年七月の江原道の「一号行事」(注1)に動員された要員(記事では「私」)の話の一部を要約整理したものである。シン・ドソクの取材は、軍隊内の金正日後継問題と関連する情報が含まれる貴重な取材となった。

「平壌オモニ」
平壌で軍事服務に就いている私が実家に戻ると、我が家の三兄弟が久しぶりに集まって話に花が咲いた。
実家の奥の部屋では、私を真ん中にして大人たちが集まり、別の部屋では甥や姪たちが歌を歌ったり詩を読んで楽しく過ごした。
最近では、一般社会では、党の方針によって三つの詩を暗唱するそうだ。

キム・チョルが書いた「オモニ(お母さん)」、「許してください」そして、キム・サンオの「私の祖国」である。
「軍隊でも『オモニ』の詩を覚えるのか?」
私に投げかけられた長兄の質問に、先に除隊した次兄が答える。
「俺が軍事服務してた時は、覚える詩は5つあったよ。『オモニ』も、康磐石(カンバンソク)オモニ、金正淑(キムジョンスク)オモニ、(注2)それから『平壌オモニ』の三つあったんだ。そうだよな?」
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