しまいには、残りものでも出してくれるかと思ったが、それすらなかった。本当に人間とは思えない。
九時を過ぎて、体をカチカチに凍らせた私たちは護送軍人に連れられて、また「無報酬」監獄へと戻っていった。当時のことで、最も印象に残っているのがその日の出来事である。

「人間、罪を犯すものじゃないな。罪を犯して送り込まれたというだけで、人間扱いされないんだからな......」
という風に当時は考えたけれど、実のところ、罪はなくても一旦、革命化対象と目され「管理所」に入れられると、その瞬間からただの「働く道具」に転落させられるのであった。

歯を食いしばりながらじっと堪えてはいたが、私のような若い世代がこんな奴隷のような生活に納得するわけがない。
そこにいる人間は、自分が何の罪で革命化対象とされているのか、誰も知らない。そのため、密かに逃げようと試みる者も少なくなかった。
しかし、鉄条網を乗り越えて逃げることは不可能である。鉄条網の工事をするところを何度か見たが、それは完全に凶器だった。

「管理所」の周囲にはぐるりと電気鉄条網が張り巡らせてあり、その下には落とし穴が深く掘られ、穴の中には鋭い槍をびっしり並べてある。
周辺の森のいたるところにイノシシ用のワナも仕掛けてある。それにかかった人は、ワナの歯に手足を挟まれて逃げることはできない。
また、鉄条網のそばの木の上に板を敷き、その上に石をいっぱいに載せ、見えない紐を張り巡らせておいて、それに触れると石の攻撃に遭うという仕掛けもあった。

だから「管理所」からこっそり外に逃げることなどできっこない。
たとえ「解除」になったとしても、よっぽどのことがなければ外には出してはもらえない。
外に出せば人間虐待の事実が明るみに出るし、ただ同然の奴隷労働力を維持できなくなる。

そのため、統制区域の中には幼稚園から人民学校(小学校にあたる)、中学校まである。罪もなく連れてこられた小さな子どもまで捕まえて縛っておくためだ。もちろん教員はすべて「隊内民」たちだ。
ただ託児所だけは「隊内民」用しかないため、「移住民」も「解除民」も託児所とは縁がない。
(つづく)

注1 日本が植民地時代のソウルに作った刑務所。独立運動家など政治犯が多く収監された。解放後は韓国が引き続き刑務所として使用した。

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