金正日将軍様専属のタイピストだった人物もいた。多くが中央党や安全部といったところから送られてきた地位の高い人たちであるが、将軍様から直接「方針」を下されて入ってきたため「革命化生」と呼ばれていた。
二〇〇六年五月には武器売買の仕事をしていた人たちが多数送られてきた。続いて同じ年の八月には、国家の対外事業の仕事で香港やマカオなどに行っていた人たちが「革命化生」として大勢入って来た。

また、二〇〇六年はじめには、国家の承認を受けて中国へ進出した会社に勤めていた女性たちが集団で送られてきた。彼女たちは「方針」対象とまではいかなかった。その一人に入れられた理由を聞いたことがある。
「まったく、ひどい話なんです。組織の責任者と上手くいかなくて、まあ、言うなれば政治責任者に睨まれて送られて来たんですよ」
という。聞くと、責任者との間で何でもないことで揉めたのだが、それを収拾する袖の下の金がなく、朝鮮に送り返され「管理所」に送り込まれたというのだ。

「方針対象」とは何か? それは党総書記である金正日将軍様が直接下した懲戒を受けた党員のことである。
将軍様が「誰々を革命化させなさい」と言うと、「方針対象」となる。こうして「方針」により懲罰を受けた人が、厳重に武装警備された「第18号管理所」などの統制区域に送られてくるのだが、家族と一緒に送られてくる場合もあれば、そうでない場合もあった。

その中には前述の将軍様専属のタイピストだった男がいるかと思えば、中国大使館の貿易参事やアンゴラ大使、ジンバブエ大使館の貿易参事などなど……、外交官クラスや武器売買を専門にしていた人びとまでが収容されて来た。

また、海外に経済スパイとして派遣されていた人物や、政治工作活動中に逮捕されて送られてきた者もいた。彼らは本当は「革命化」のために送られてきたのではなく、最高首脳部や党、国家、軍事の秘密の保持のために、「18号管理所」に永久移住させられてしまったのだ。こういったケースを「完全没落」と呼んでいた。

また、本人ではなく家族だけが収容され「隊内移住民」(注3)となるケースもあった。
この人たちは、夫や父親が、対南連絡所(対韓国の工作部隊)などを通じて韓国や他の国で工作活動をしている最中に行方不明になり、連絡が途絶えてしまい、身代りに家族が収容されたケースである。党は、行方知れずになった工作員の朝鮮に残った家族を、統制区域へ送り込んで管理する。

本人が外国で転向したのかどうなったのかが解明されるまで、彼らは「隊内」扱いを受けながら統制区域内で暮らさなければならない。外にいる親戚との手紙のやり取りも許されない。本人が転向したり、変節したということがわかれば、その家族は「移住民」に落とされる。そんな家族も多かった。
(つづく)

注1 評定文 組織内で人物を評価する文書。
注2 李済剛 労働党中央委員会組織指導部第一副部長で、金正日の側近だといわれる。
注3 前述のように「管理所」の住民は「移住民」「解除」「隊内」に分けられている。それ以外に、法的処罰は加えられないが統制区域に収容する必要があると政治的に判断された対象もいて、彼らを特に「隊内移住民」と分類している。

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