中国を訪問した40代の金正日と会談する鄧小平。(わが民族同士HPより)

中国を訪問した40代の金正日と会談する鄧小平。(わが民族同士HPより)

 

我が国の経済動向 20
「実利主義」=二〇年遅れの中国の真似
ケ・ミョンビン:近頃、声高に主張されている「実利主義」についても触れなければならない。
「実利主義」が、名実の伴った「経済指導」の概念としてきちんと実践されていればよいのだが、現在の朝鮮の「実利主義」は、一言で言って「事大主義」(注1)の別の表現に他ならない。つまり、改革開放を実施した中国の「実事求是」(注2)を真似したものなのだ。

石丸次郎:というと?
ケ:かいつまんで説明すると、一九五〇年七月二七日の朝鮮戦争停戦の後、朝鮮は大国・中国を「創造的に」模倣する政治的慣行にどっぷりと浸かってきた。小国・朝鮮は、「革命」の先駆けである中国の経験と結果を真似することに一生懸命だった。
しかし、ただ技術顧問団を呼び寄せて教えてもらうだけでは立場が悪い。

そこで、中国のほうをチラチラうかがいつつも、自分たちの政治的利益に合わせて導入したのが「主体的」という概念なのだ。
主体思想の信奉者たちが世界各地にたくさんいるという記事を労働新聞でよく見かけるが、その元祖である朝鮮が最も非主体的だったということは実に皮肉な話だ。

歴史年表を見ても、中国の「大躍進」を模倣したのが「千里馬運動」であり「大高潮」という用語だ。「人民公社」は「協同農場」となり、「文化大革命」を真似したのが「思想・技術・文化の三大革命」だったし、「文化大革命の革命小組」は「三大革命小組」となった。
七八年に毛沢東が死んで、八三年六月に金正日が中国を訪問して朝鮮の後継者として認められたぐらいまでは、朝鮮が中国を模倣する際の時間差はそれほどなかった。

けれども、鄧小平が権力を振るった八〇年代中盤から、その時間差が広がり始めた。
朝鮮はその頃すでに、中国の政治を模倣するのが困難な状況に陥っていた。東西冷戦が緩み始め、世界は対立の時代から和解と協力、交流の時代に入って行ったからだ。

朝鮮ではあらゆる思考と判断を大国のやり方にのみ依存しているにもかかわらす、中国やソ連の「成功例」を(「主体的」に)参考にしているかの如く振る舞って、自国の幹部たちさえ徹底的に騙してきた。人民大衆にも本当のことを隠したままだった。
そして、統治の政治的正当性の根拠を、常に敵対国の侵略の脅威に求めてきた。

こんなやり方で自分たちの既得権を守ることばかりに汲々としてきた権力者たちだったが、中国が本格的な改革を始めると、模倣することができなくなくなってしまい、どこへ向かえばよいのか分からなくなったのだ。
だから、中国で二〇年前に登場した「実事求是」は、朝鮮にこれを受け入れる必要性と条件が少し整った今になって、「実利主義」という言葉で「朝鮮の実情と利益に合わせて創造的に」修正、導入されるに至ったのである。
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