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【多くの職場で派遣労働者など非正規雇用労働者が働いている。この現実は労働法制の規制緩和によってもたらされた】

【多くの職場で派遣労働者など非正規雇用労働者が働いている。この現実は労働法制の規制緩和によってもたらされた】

最終章
「人的資源」にされていい人間は、ひとりもいない

昨年から今年にかけて、トヨタ、キャノン、いすず、マツダ、パナソニック......、自動車産業や電機産業などの大企業による非正規雇用労働者(派遣労働者、期間労働者など)の大量解雇が続いてきた。
「派遣切り」や「非正規切り」と呼ばれるその深刻な問題は、ニュースでも頻繁に報じられた。利益・効率を最優先して労働者を切り捨てる、まさに人を物と同じように使い捨てにする、「人的資源」の発想がもたらした問題である。

人材派遣会社と派遣先企業との間には、労働力を売買するという商取引契約が結ばれている。派遣先企業は派遣労働者を直接雇用しているわけではないので、派遣労働者の賃金は人件費ではなく物件費として扱われる。
その物件費として人材派遣会社に支払われた金額からマージンを引かれたものが、派遣労働者の手に渡るのである。

一般的に派遣先企業では、派遣労働者の管理に関しては人事部ではなく、総務部や工務部や調達部といったセクションが担当している。物資同様の調達をイメージさせるこうした管理手法も、賃金に物件費が充てられていることも、派遣労働者が「商品」「部品」として物扱いされている現状を端的に表している。

そこには、労働者をマネーと物資と情報と並ぶ「経営資源」のひとつ、すなわち「人的資源」と位置づけて管理する「人的資源管理」の赤裸々な姿が露になっている。この「人的資源管理」論は現代的な企業経営のあり方として、経営学の分野で、経済界で、注目を浴び、取り入れられている。
このように派遣労働者は「物的資源」と並ぶ「人的資源」として、企業の利益追求のために道具化・手段化されている。

「派遣切り」をする企業経営者らに、切り捨てられる労働者の痛みに思いを馳せる様子は見られない。
人間を「人的資源」として道具化・手段化する側は、「人的資源」とされた人の身になって考えることはできないのだろう。
かつて国家総動員体制をつくった軍人・官僚らも、「人的資源」として動員された人の身になって考えることはできなかったにちがいない。
それは、人を資源と見なす視点に立つかぎり当然の帰結だといえる。
「人的資源」という言葉は常に、統制・管理・使用・運用・活用・利用・配置・配分・投入・培養などの行為の目的語、対象として使われてきた歴史がある。

人間は数値化されて管理される存在にされてきた。個人個人がかけがえのない存在ではなくて、かけがえの効く、取り替え可能な存在として扱われてきた。
このように「人的資源」の発想は上から下へ、国家や企業の機構・組織の上下関係を通じて機能する。逆に言えば、機構・組織の上下関係を離れては機能しがたい。

たとえば、夫婦や親子や兄弟姉妹という家族関係において、誰か家族の一員を「我が家の人的資源」と呼んだりするだろうか。友達や恋人を指して「人的資源」と言うだろうか。
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