家族も、友達や恋人も、決して何かの政策実現や利益追求のための道具・手段ではない。数値化され、取り替え可能な存在ではない。そこに、人を「物的資源」同様に消費される「資源」と位置づける発想は生まれようがない。
上官らによるいじめ、パワーハラスメントによって自殺に追い込まれた自衛官、鈴木秋雄(仮名)の母親、佳子(仮名)が、テレビ番組での政治家による「自衛隊という資源、人的資源」発言に強い違和感と疑問を覚えたのも、我が子が「人的資源」などであるはずがないと、生体反応のように心身を貫いた痛みを伴う直観からだったにちがいない。

日本人はかつての戦争で、「人的資源」とされて苦しんだ歴史と、他国の人びとを「人的資源」にして苦しめた歴史とを持っている。
しかし、戦後、その歴史は忘却され、装いを変えて日本社会に浸透し、様々な歪みを引き起こしている。
ここであらためて指摘したいのは、戦争での動員にしても、ワーキングプアなど貧困・格差問題をもたらした労働法制の規制緩和にしても、決していつのまにか自然に起こったのではなく、初めから人為的・計画的なものだという点である。

軍人と官僚が「人的及び物的資源の統制運用」を計画し、近年は政治家と財界人と官僚と学者が「労働移動の円滑化による人的資源の最適配分」を計画した。それぞれ法律を定めたり、改定したりして実行に移した。
その都度、マスメディアを通じて国民の愛国心に訴えたり、勤労精神や能力・意欲を持ち上げたりした。だが、その根底には常に、人間を戦力や労働力として消耗品扱いし、道具化・手段化する冷徹な「人的資源」の発想があった。

かつては軍も含めた政・官・財・学の権力構造に拠る少数の者たちが、「人的資源」の発想に基づいて計画し、法制度を整え、その意図を実現してきたのである。

権力構造に拠る者たちが、政策・計画を立て、実行する力をほしいままにした結果、どれほど惨禍がもたらされたかは歴史が証明している。
「人的資源」の問題をめぐっても、かつて一部の軍人と官僚が兵士や徴用された労働者に犠牲を強いたように、いま労働法制の規制緩和を推進した政治家・財界人・官僚・学者が、派遣労働者に犠牲を強いている。いずれも自分たちの地位と利益は手にしたまま。

しかし、自衛隊内のいじめで自殺した自衛官の父母が国家の責任を、大企業工場の過酷な業務により過労自殺した派遣労働者の母が企業の責任を、それぞれ問うて裁判に訴えたように、人間を使い捨てにする「人的資源」の発想に対して抗議の声は挙がっている。
その当事者の痛みのこもった、「人的資源にされていい人間は、本来、ひとりもいない」という思いが指し示す道筋を目指してゆきたい。
完(文中敬称略)
〈付記〉
自衛隊内のいじめで自殺した自衛官の父母が、国を訴えていた「さわぎり裁判」は、2008年8月25日に福岡高裁で控訴審判決が出された。
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判決は、直属の上官の言動が「指導の域を越える違法なもの」であり、自衛官の自殺と因果関係があると認めた。
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「国家公務員が職務上、他人に心理的負荷を過度に蓄積させるような行為は、原則として国家賠償法上違法である」とし、国に対し350万円の賠償を支払うよう命じた。
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自衛官をはじめ全ての労働者の人権擁護につながる、画期的な原告側の逆転勝訴判決だった。
(終わり)

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