豆満江を渡って脱出してきた直後の男性。食事をとった後も食べ物を口から離さなかった。(1997年8月中国延辺朝鮮族自治州 石丸次郎撮影)

豆満江を渡って脱出してきた直後の男性。食事をとった後も食べ物を口から離さなかった。(1997年8月中国延辺朝鮮族自治州 石丸次郎撮影)

 

解説2:生き延びるための脱北が「反逆」とは(上) リャン・ギソク

近年、国連をはじめ国際社会では、朝鮮における人権蹂躙に対する関心が高まっている。
一方で、二〇〇八年は、米国の朝鮮に対するテロ支援国家指定が解除され、朝鮮との直接対話を主張するバラク・オバマが米国大統領に当選し、同国の上下院議会で民主党が多数を占めるなど、朝鮮にとっては対米関係でかつてない良い環境ができつつあると言える。

しかし、「核外交」の強硬姿勢によって国際環境が「改善されている」ものと、朝鮮政府が勘違いしているとしたら、このせっかくの好機を逃すことになるだろう。

そうならないためには、朝鮮国内の人権問題に対する真摯で早急な対策が望まれる。
まさにこうした視点から、国際的な人権問題として注目されている脱北者問題について言及してみたい。
すなわち、脱北したものの中国で逮捕送還されてきた人々に対する、朝鮮国内での過酷な取扱いについてである。

「豆満江越境」は朝中の朝鮮民族の歴史的な選択
豆満江を挟んで両岸に暮らす朝中両国の国境地帯の住人たちは、古くから、どちらか一方の地域で災難が起きれば、川を渡って相手地域へと移住し、生活を建て直すという営みをしてきた。

今から約一世紀前、日本が朝鮮半島や満州を支配し始めた二〇世紀初頭以降、数多くの朝鮮人が満州を初めとする中国国内へと移住して行った。
故金日成主席とその同志である抗日闘士たちも、そうした移住民やその子孫であったことは広く知られている。彼らは朝中両国の解放のために反日共同戦線で戦った。

また、一九六〇年代中盤に中国で文化大革命が起こると、数万人の中国人が朝鮮へと移住、定着した。
このような歴史を経る中で、豆満江両岸には互いに相手地域に親族を持つ住人が多く存在するようになった。

一九八四年には、朝中両国間の協定により、親族訪問の旅行者にビザが発給されるようになって、数多くの訪問客が両国間を往来した。
私も、二〇〇四年に初めて中国を訪れたが、その際、延辺の朝鮮族自治州の朝鮮族と咸鏡南北道や両江道の人たちの間に、言葉のイントネーションや方言、生活習慣などに多くの共通性を発見し、驚いたものである。

一九九〇年代の中ごろ、朝鮮の経済がほとんど麻痺状態に陥ると、再び中国へと移動・滞在しようとする朝鮮人の動きが顕著になった。
親兄弟から遠い親戚に至るまで、中国各地にいる身寄りを頼って、数多くの朝鮮人が中国東北部のあちこちに散って行った。
この人たちが現在、世界中で「脱北難民」として認知されるに至ったのである。
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