彼らのことを朝鮮では「渡江者」「越境者」などと呼んでいるが、ここでは「渡江者」と呼ぶことにする。
前述のとおり、朝中国境地帯での住民の大量移動は、第一に、居住地域で起きた社会的な厄災により発生したものであり、第二に、文化的共通性や血縁を有する一種の共同体の間を移動したものと言える。

「豆満江越境」は、いわば朝中両国に住む朝鮮民族が歴史の中で育んできた、生きるための選択であり権利であった。そのため、朝中両国も両地域の住民も、「渡江者」が発生し始めた九〇年代中盤は、大方のところ寛容であったし、国境の川を強硬に封鎖するというような政策が採られることもなかった。

ところが、現在は、こうした「渡江者」は、朝鮮当局の過酷な処罰の対象になっている。
「苦難の行軍」と言われた九〇年代後半の大混乱期には、生活苦から発生していた「渡江者」は、朝鮮において各機関や地方によって厳格に扱われる場合はあったものの、法律的には単なる「国境秩序違反者」として扱われていた。

しかし、一九九八年の先軍政府樹立以降、中国で逮捕送還されてきた「渡江者」に対する扱いは厳しくなって行く。
特に二〇〇四年七月に、ベトナムまで逃げ延びた脱北難民約四五〇名が、二陣に分かれチャーター機で韓国に集団入国した事件などをきっかけに、朝鮮における「渡江者」弾圧は次第に厳しさを増していった。

以下に「渡江者」処罰に関する関連法条項を紹介する。

(以下、引用)
朝鮮民主主義人民共和国刑法
一九五〇年三月三日制定、二〇〇四年四月二九日、最高人民会議常任委員会政令四三二号により改正(第五次改正)
第七章 一般行政管理秩序を侵害した罪
第一節 一般行政管理秩序を侵害した罪
第二三三条 不法に国境を越えた者は、二年以下の労働鍛錬刑に処する。情状が重い場合には、三年以下の労働教化刑に処する。(注1)

(以上、引用)

中国から逮捕送還されてきた「渡江者」たちを最も苦しめるのは、政治的なレッテルである「民族反逆罪」だ。
「渡江者」は生きていくために禁を犯しただけであって、当局の主張するような民族への反逆はおろか、ほとんどの場合何らの反社会的行為もしていない(「渡江者」たちは民族反逆者として扱われ、極めて不利な扱いを受ける)。
(つづく)

注1 朝鮮民主主義人民共和国刑法(一九五〇年三月三日制定、二〇〇四年四月二九日最高人民会議常任委員会政令四三二号第五次改定)では以下のように規定されている。

(以下、引用)
第三〇条 無期労働教化刑、有期労働教化刑は犯罪者を教化所へ収容し、労働させる方法により執行するものとする。無期労働教化刑、有期労働教化刑の執行期間は、公民の基本権利が停止される。有期労働教化刑期間は一年から一五年までとする。犯罪を併合もしくは刑期を合算する場合においても、有期労働教化刑の期間は一五年を超えないものとする。犯罪者の拘束期間中の一日を有期労働教化刑期間の一日と計算する。
第三一条 労働鍛錬刑は、犯罪者を一定地域へ送還し、労働させる方法で執行するものとする。労働鍛錬の執行期間は、公民としての基本権利が保障されるものとする。労働鍛錬刑期間は、六ヶ月から二年までとする。犯罪を併合もしくは刑期を合算する場合においても、労働鍛錬刑期間は二年を超えないものとする。拘束期間中の一日を鍛錬刑期間の二日と計算する。
(以上、引用)

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