売場台に積み上げられているものが「人造肉」。帯状のものが巻かれて円盤になっている。北朝鮮の全国の市場でよく見かける食糧品だ。(2008年9月平壌市江東郡の公設市場 チャン・ジョンギル撮影)

売場台に積み上げられているものが「人造肉」。帯状のものが巻かれて円盤になっている。北朝鮮の全国の市場でよく見かける食糧品だ。(2008年9月平壌市江東郡の公設市場 チャン・ジョンギル撮影)

 

生活に追われる若者の不安、恨み、そして失望 1

取材・整理 リ・ジンス
「シリーズ若者の声」では、これまで二〇代男性の熱い社会分析や、一〇代の女性のファッション観や男性観、恋愛観を伝えてきた。一九九〇年代中盤の「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉の時期から現在まで続く、混乱期の北朝鮮の中で育ち、苦難を生き抜いてきた若者たちが、明るさを失わず自分の生を自ら切り拓きたいという意志を持っていることを感じさせてくれた。

しかしながら、北朝鮮の中には、ぎりぎりの生活を否応なく強いられて、絶望の一歩手前で将来の具体的な夢や希望をもつこともできない若者がいるのもまた事実である。

今回の「若者の声」は、編集部のリ・ジンスが二〇〇九年六月に朝中国境地帯で出会った二人の若者との対話をまとめたものである。二人はともに二〇代。北朝鮮の最下層辺りを必死に生きてきたことが、暗く激しい言葉の端々から伝わってきた。国家総動員期間である「一五〇日戦闘」のまっただ中に、藁にもすがる思いで危険を覚悟して、中国に一時的に密出国してきた二人の若者の思いをお伝えする。

〈インタビュー1〉チェ・スミさん 二二歳女性 上
咸鏡北道清津(チョンジン)市出身の二二歳の女性。
検問を避けるために清津市から一週間歩き通しで中国との国境まで来て豆満江を越えた。

工場の技術者であった父親を一〇年ほど前に亡くし、現在は心臓を病む五四歳の母親と二人暮らし。本人も心臓が弱いという。
勉強が好きで大学進学を希望したものの、教師への心付けを工面できずに断念。学校卒業後は病弱を理由に職場配置を免れ、母親の商売を細々と手伝ってきた。
〇九年になって生活状況が悪化し、何とか現金収入の道を探ろうと母親に内緒で初めての中国への越境を敢行した。

生活の中で
Q:朝鮮ではどんな暮らしをしているのですか?
A:母は「人造肉」(注1)を作って市場で売っています。私はその手伝い。最近では利益は多いときで一日一五〇〇ウォン、少ない時は七〇〇ウォン......、平均すると一〇〇〇ウォンくらいです。(当時のレートで一円は約四〇ウォン[「デノミ」以前])

Q:一日一〇〇〇ウォンの収入ではかつかつの生活のような気がしますが......。
A:去年(二〇〇八年)は三〇〇〇ウォンくらい稼いでいました。それなのに、今年になってからは一〇〇〇ウォン稼ぐのもやっとなんです。一〇〇〇ウォンあればトウモロコシのソバが一キロ買えるので、母と私が二人食べる分にはなんとか足りますが、貯蓄というものはまったくありません。収入が少ない日は食べるのを我慢します。
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