砂金採りに勤しむ女性。個人でやっていると場合と、法律違反だが人を何人も雇ってやっている場合があるという。また別途、買い取り業者がいるという。(2008年10月黄海南道 シム・ウィチョン撮影)

 

北朝鮮は鉱物資源の豊かな地である。金(きん)も古くから産出されてきたが、鉱山開発が本格化するのは近代になって欧米列強が入ってきてからで、日本の植民地時代になって、金鉱山開発は本格化した。平安北道の雲山(ウンサン)、昌城(チャンソン)、黄海南道の栗里(リュルリ)、などが金鉱山として有名である。

さてその金であるが、当然のことながら北朝鮮の為政者にとっても大切な外貨収入源である。金正日が後継者として登場した一九八〇年代以降、北朝鮮の国民は指導者への忠誠の証として、外貨稼ぎ労働に動員されたが、松茸採取や砂金集めがその代表的なものだった。

しかし一九九〇年代半ばに大量の餓死者を出す社会混乱が引き起こされて以来、このような「忠誠の外貨稼ぎ」をやる者はほとんどいなくなってしまった。民衆自身が生き延びるのに精一杯だったからだ。それどころか、国家所有物として個人が勝手に取り扱うことを厳禁されていた金を、個人が売買する行為が横行するようになったのである。

以下は、二〇〇八年秋に、黄海南道の海州(ヘジュ)市にある国営工場の敷地で砂金採りに励む人々の姿を、シム・ウィチョン記者がビデオ取材したものを整理したものである。

日本の植民地時代に操業を始めたという海州製錬所(注1)。今や立ち枯れ状態でほとんど稼働していないが、その敷地の中でざっと数十人がスコップを振るっている。皆、砂金を採っているのだという。中には学校に通わなければならない年齢の少年少女たちの姿も目に付く。

シム記者はビデオカメラを回しながら製錬所の沈殿池(注2)だった、機械の残骸が散らばる泥地に入っていく。

記者:「一日こうしてやれば、どのくらいの量の砂金が採れますか?」
勝手知った感じのやや年配の女性が答える。
女性:「〇・〇五グラムくらいですね」

記者:「思ったより少ないですね......。金額にするとどれくらいですか?」
女性:「三〇〇〇ウォンから三五〇〇ウォンといったとこです」
(〇八年一〇月の時点で、一〇〇円=約三〇〇〇ウォン)

記者:「この辺はなんで金が採れるんですかね? ここは以前硫酸を作っていましたよね」
女性:「ここはね、硫酸をやりながら、金と亜鉛もやっていたのよ」
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