順川(スンチョン)ビナロン連合企業所潜入取材 3
取材・撮影 キム・ドンチョル
解説 石丸次郎
二〇〇九年七月取材

トウモロコシ畑の上を、錆ついたかなりの太さのパイプラインが走る。

 

「順川ビナロン連合企業所」とは[承前]
金日成が夢想したこの巨大プロジェクトの根幹にあるのは、「自立的民族経済建設路線」である。これは「チュチェ(主体)」経済建設路線と言いかえてもいいだろう。

東西冷戦の最前線に立たされていた北朝鮮は、ソ連・東欧・中国からの手厚い援助を受け続けることができた。だが、一方で五〇年代から始まった中ソ対立に巻き込まれるのを嫌い、中ソのどちらかに過度に傾斜することを避けた。

当時、東欧社会主義国の大半は、モスクワに忠実な国内の「ソ連派」に牛耳られていた。アジア諸国の共産党では「中国派」がどんどん幅を利かせるようになっていった。

五〇~六〇年代にかけて国内の「ソ連派」と「中国派」を粛清排除して唯一独裁体系を作った金日成は、大国の狭間の小国の独裁者として生き残るために、国内への大国の政治的影響を遮らなければならなかった。政治的に「民族のチュチェ」の看板を絶えず掲げておく必要があったのだ。したがって、ソ連、中国から援助はもらいつつも、経済政策においては、「チュチェ経済建設」を謳わなければならなかったのだ。

もうひとつは財布の事情がある。外貨に乏しい北朝鮮は石油や原料を海外から買って来る余力は少ない。北朝鮮国内に豊富な石炭と石灰をエネルギー源・生産原料として活用しようというのは、一見理に適っているようにも見える。

そこに「自前の技術」を駆使して繊維生産を核にすえた石炭化学コンビナートを建設しよう、というのが「順川ビナロン」プロジェクトであった。ビナロンの開発者であり権威である李升基(リ・スンギ)博士が北朝鮮にいたことが、金日成をして「自前の技術」にこだわらせた理由の一つだったと思われる。
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