区域間をつなぐベルトコンベヤーだろうか。映像からは錆ついて稼動している気配は感じられない。下部の門扉には「自力更生」の文字が見える。外国に頼らず「自前の資源、エネルギー、技術」で産業を興そうという「チュチェ工業」のスローガン。今となっては、自閉と独善の象徴語である。

 

ビナロンの父、李升基博士
李升基は一九〇五年、当時の大韓帝国に生まれ、日本へと留学し松山高校を卒業する。その後京都帝国大学の工業化学科に入学、卒業後も研究所に留まり化学繊維の開発に専心し、一九三九年にビナロンの元になる化学繊維である「合成一号」を完成させる。これにより朝鮮人としては初めて日本の工学博士号取得者となった。

解放後朝鮮に戻り、ソウル大学工学部の教授などを歴任するも、一九五〇年に朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮に渡る。
その後、科学院の咸興分院の院長としてビナロンの工業化研究を続ける。一九九六年没、国葬を以って送られた。北朝鮮では最高の科学者の一人と評価されている。
(参照 朝鮮新報など)

(つづく)

スクープ! 廃墟となった 巨大コンビナートを撮影 1
スクープ! 廃墟となった 巨大コンビナートを撮影 2
スクープ! 廃墟となった 巨大コンビナートを撮影 4

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