同じく恵山市を臨む。建物には「将軍様についていきます千万里」とある。2010年7月撮影。©アジアプレス

同じく恵山市を臨む。建物には「将軍様についていきます千万里」とある。2010年7月撮影。©アジアプレス

 

日本で在日三世として生まれ、朝鮮学校、日本の公立学校に通い、そして韓国で10年間過ごした私にとって、用語としての「統一」は身近な言葉であった。
だがそれは、北朝鮮の人たちが考える「統一」とは明らかに違う。北朝鮮から越境してきた彼女たちと言葉を交わしてそう思った。
北朝鮮では幼い頃から「統一さえすれば、豊かな暮らしができる」と教えられる。

それは言い換えると、ずっと貧しく辛い暮らしが続くのは統一できないからだ、ということだ。
統一できない原因を北朝鮮政府は、「米国が邪魔するからだ、南朝鮮の独裁政権せいだ」と宣伝してきた。
しかし、北朝鮮の大部分の人たちは、自分たちがずっと貧しく、自由もなく、人間らしく生きられない理由、つまり統一を妨げている原因が、他でもない、自らの政権にあることに気づいている。

「統一さえすれば・・・」という、心の底から絞り出てくるような彼女たちの言葉は、今の政治に一刻も早く終止符が打たれ、変化が訪れて欲しいという表現なのだろう。
違法行為である中国への越境にしても、外国から来た初対面の私に「早く統一して欲しい」と涙ながらに語るのも、彼女たちなりにできる精一杯の「抵抗」ではないかと思うのだ。

北朝鮮の人たちと会うようになって11年。私は祖国統一を「分断された民族が再び一つになること」などと単純化して語るのが嫌になっている。
「北朝鮮の人々が人間らしく暮らせること」これが統一の目的と前提にならなければならない。
中朝国境で北朝鮮を眺めながら、そう強く感じた。(李鎮洙)

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