コカの葉が斜面を覆うマウロの故郷。(2009年10月カウカ県北部 撮影 柴田大輔)

 

◆ 第6回 コカを作る人びと (1)

古くから生活に密着するコカは、祈りや薬として用いられる。コミュニティーを訪ねると、大抵の家に乾燥させたコカの葉があり、体調の悪い時には、煎じたお茶を飲む。
また、仕事中に葉を石灰の粉とともに咀嚼するのを見かける。その成分から空腹や疲労感が抑えられるという。食べ物が少ない中で生活してきた人々の知恵だ。

しかし、近年コロンビアでは麻薬の原料としてのコカ栽培が広がっている。あるコカ農家の話をしたい。
コロンビアの、ある先住民族コミュニティーに滞在中、生活を共にしていたマウロという14歳の少年がいる。彼は、私が部屋を借りていた家庭の奥さんの弟だ。
父親が事故で都市の病院に入院した。母親も付き添いで家を離れたため、弟とともに預けられた。2007年のことだった。

マウロと弟のアレクシス。いつも二人一緒で過ごしていた。(2007年9月カウカ県北部 撮影 柴田大輔)

 

コロンビアに来て間もない当時の私は、この国に対して「麻薬・紛争」といったイメージをもっていたものの、それを目の当たりにすることなく、どこか遠い世界の事の様にとらえていた。
また、「先住民族」という人々の情報に接し、彼らがどのような生活をしているのか知りたいという好奇心で旅をしていた。
マウロと出会った当時、私は旅行者の延長でしかなかった様に思う。見たことのない風景、生活習慣に接し、好奇心を満たしていた。

マウロはそんな私に、彼らの現実を突き付け、その中で生きる生身の人間の心を見せた。私は彼を通して、少しずつコロンビアという国を知っていった。
マウロが物心ついたとき、彼の家族はコカ栽培で生計を立てていた。彼の暮らす集落には黄緑色の葉をつけたコカの木々が広がっている。麻薬の原料として栽培されているものだ。
彼の父親は、以前はコーヒーを主に、バナナやユカ芋など、土地の作物を作ることで現金収入を得ていたと話す。

コロンビア名産のコーヒー豆。(2009年11月コロンビア・カウカ県 撮影 柴田大輔)

 

しかし、1980年代後半くらいから、麻薬の原料としてのコカ栽培が広がっていった。それは、他の作物に比べ値が張り、安定した収入源となることが大きな要因だ。
彼らは、収穫した葉をペースト状にし、取引をする。年3回の収穫でおよそ1.2トンの葉をペーストにし、6000ドル程の収入になるという。そこから薬品代など経費を引いた残りで家族8人が生活を送っている。
米国ではコカイン1グラムが100ドル程度で取引される一方、麻薬ビジネスの末端ではこの程度の収入なのだ。決して満足な収入とはいえない。現在は、年に2回収穫されるコーヒーと合わせて生計を立てている。
(つづく)

大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注)コロンビアはいま

国土の南北をアンデス山脈が貫く。(2008年3月コロンビア・ボヤカ県・コクイ山 撮影 柴田大輔)

全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。

南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。

5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。

コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。

1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。

1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)


【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。

【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧

★新着記事