ロルパ郡ホレリにある警察詰め所跡。1996年2月13日、人民戦争の初日に、ウシャを含むマオイストが襲撃した。(撮影:小倉清子)

ロルパ郡ホレリにある警察詰め所跡。1996年2月13日、人民戦争の初日に、ウシャを含むマオイストが襲撃した。(撮影:小倉清子)

 

nepal_maoist_B0200_001■ 第18回 「人民戦争」初日の襲撃に参加した2人の女性(2)
警察詰め所の建物は2階建てで、1階と2階に3部屋ずつが1列に並んでいた。4つのグループが建物を包囲したことを確認すると、パサンが率いるグループが1階にある台所のドアを開けた。その部屋で警官が食事をしているときに、彼らを拘束する計画だった。

ところが、パサンたちが台所に入ると、警官たちはすでに食事を終えてその部屋にはいなかった。警官は全員が食事を終えて2階にある部屋に寝に行っていたのである。

何者かが襲撃をしてきたことがわかると、7人の警官は2階にある1つの部屋に集まって、内側から鍵をかけてこもった。パサンらはゼラチンを丸めて、外側を布でまいて作った爆弾を建物の穴に詰めて壁を壊そうとしたが、爆弾はそれほど威力がなかった。

ウシャは銃を持っていなかったが、爆弾を1つ隠し持っていた。襲撃が始まると、バザールのほうから警察詰め所に向かって灯りが照らされた。銀行をガードしていた警官隊が外に出てきたのである。

ウシャのグループが、この警官隊を阻止する役目を与えられた。ウシャは警官のほうに向かって、集めておいた石を投げた。警官が発砲をしてくると、彼女は興奮して「叫ぶな」という指示を破り、「ハーン(撃て)!」と叫んだのである。

コマンダーのアナンタにとがめられたが、ウシャは黙って引き下がらなかった。コマンダーと言い争ったあと、ウシャは隠し持っていた爆弾を投げつけたのである。このあと、アナンタがバルワ・バンドゥクを2発撃つと、警官たちはようやく銀行のほうに戻っていった。

マオイストは約3時間にわたり、警官の拉致を試みた。しかし、ライフルを持っている警官が、部屋のなかから発砲を続けたために、警官が引きこもっている2階中央の部屋には入ることができなかった。そのため、彼らは建物に火をつけた。

午後11時ごろ、アナンタが部屋の外から、ライフルを渡して降伏するよう警官に話しかけた。「ライフルは渡せない。銃がほしいのであれば、私たちを殺して持っていけ」が警官の返答だった。

最後まで警官は外に出てこなかった。「人は殺さない」という方針を守り、アナンタらは他の部屋にあった爆発物や電線を奪い、去ることにした。初日の襲撃では、彼らがマオイストであることをばらさないという方針だった。そのため、アナンタは警官と話したときにも自分たちが誰であるかを名乗らなかった。

アナンタとパサンが率いる36人の戦闘隊のチームは、日付が変わる前にホレリを後にして朝までにヒャンのシェルターに戻った。日中、そこで身体を休めたあと、暗くなって出発し、夜中歩いて山を越え、コルチャバン村に向かった。
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