紛争の最前線に置かれるマウロの故郷。(2009年10月カウカ県北部 撮影 柴田大輔)

 

◆ 第7回 コカを作る人々(2)

麻薬取引は、非合法武装組織の侵入を地域に招くことになる。マウロが生まれ育った場所には、取引を管理するマフィアが暮らす。また、その一帯は、麻薬を資金源とするゲリラにとって重要な地域であり、その支配権をめぐり軍との戦闘が頻繁に起きている。

マウロは、そんな暮らしを私に少しずつ語ってくれた。それでも私は、それらの話を身近に感じることができないでいた。しかし、ある日彼が、「これは誰にも言わないでくれよ」と前置きをし「去年、まだ生まれて間もない弟が撃たれて死んだんだ」と話した。

彼らが暮らしていた場所で起きた戦闘の中、流れ弾に襲われたのだ。私は、普段と変わらぬ口ぶりで語られたその言葉に戸惑った。私の様子を察した彼は、笑顔を作って「今の忘れてよな!」と明るくその場を去っていった。

マウロの家族。(2007年9月カウカ県北部 撮影 柴田大輔)

 

毎日一緒に生活を送っていたマウロからも、かれの家族からも、それまで一度も家族を失った話を聞くことも、その悲しみを感じることもなかった。

その後、私が彼らと生活を送る中で、銃撃戦に遭遇する。コミュニティーに駐在する警察部隊にゲリラが銃撃を加えてきたのだ。生まれて初めての出来ごとに、彼らの暮らしが、政府が進める麻薬・ゲリラ撲滅作戦の最前線だということを思い知らされる。

毎日接している人々の生活が危険な現実の上に成り立っている。その環境でも送られる日々の生活を目の当たりにした。私にはそのことがショックだった。
私は、「紛争」や「先住民族」という言葉にある種のイメージを持っていた。
それは「泣き叫ぶ人々」「珍しい生活、習慣」。どれも、映像や文章で見聞きしてきたことだ。しかし、日常は私達と変わることなく繰り返されていく。むしろ、彼らの社会のほうが心豊かなものにすら感じられた。彼らは私に悲壮感を見せつけはしなかった。

その後も「先住民族」と呼ばれる人々の間を歩き回った。一緒にご飯を食べ、酒を飲み、どうしようもない迷惑をかけることも、かけられることもあった。それでも超えることのできない壁を感じ続けていた。
「ダイスケこんな歌知ってるか?」と、マウロが一度だけ歌ってくれた歌がある。「インディヘナ(先住民族)はいつも泣いている。悲しくて辛くて泣いている。」という内容だった。

普段明るくて、しっかり者のマウロが、少し寂しそうに、照れながら歌ってくれた。私は何故突然そんな歌を聴かせるのか分からず、「歌うまいなぁ」とはぐらかしてしまった。マウロは小さな胸に、どんな思いを抱えて生きているのだろうか。
2009年、回復した父親と共に故郷に戻ったマウロを訪ねた。

新しく生まれた甥っ子の面倒をみるマウロとアレクシス。(2009年10月カウカ県北部 撮影 柴田大輔)

 

一年半ぶりに会う彼は、少し大人に近づいていた。そこで過ごした3日間、夜になると山間で活動するゲリラに対する空爆が繰り返されていた。遠く、山々に響く爆弾の音を背にしながら、再会を懐かしみ、会話を楽しもうとするマウロたちの様子に、不思議なほどの安心感を覚えた。

紛争も麻薬に寄り添う社会も、個人の力ではどうすることも出来ない。そんな中で生きていかなければならない人々の思いを理解し言葉にしようとするほど、彼らとの隔たりを感じさせられる。
マウロは、再び家族そろって暮らせる今を、何よりも嬉しく感じていた。彼らは今もコカを作り続けている。変わらぬ暮らしの中、平穏に生きることの難しさを知る彼らの願いはどのようなことなのか。
私には、彼らが決して大袈裟なことを望んでいるようには思えない。
(つづく)

大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
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(注)コロンビアはいま

国土の南北をアンデス山脈が貫く。(2008年3月コロンビア・ボヤカ県・コクイ山 撮影 柴田大輔)

全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。

南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。

南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。

5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。

コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。

1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。

また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)


【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。

【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧

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