コロンビアとエクアドル国境を流れるカルチ川。変わることのない風景が両岸に続く。(2010年6月エクアドル・リタ 撮影 柴田大輔)

 

◆ 第9回 エクアドルに暮らすコロンビア難民 (1)

暴力から国外に逃れたコロンビア難民は50万を超えるといわれる。隣国エクアドルには推定で25万人に及ぶ難民が生活している。
エクアドル北部にリタという小さな町がある。標高1000メートルの温かいその一帯に、37家族のコロンビア難民グループが暮らしている。彼らはコロンビア南部ナリーニョから逃れてきた先住民族アワを中心とした人々だ。

ナリーニョは現在、コロンビアでも最も麻薬生産が盛んな地域のひとつであり、ゲリラ、パラミリタール、軍による紛争、住民虐殺が激しさを増している。難民グループは10年程前より暴力から逃れるため、この地に移ってきた。現在はリタを中心に、周辺の集落で住まいを借りて生活している。

グループのリーダーを務めるのがルイス・フェリペさんだ。彼はナリーニョのアワ民族コミュニティーで生まれ育った。地域の指導者として活躍していた彼の父親は、法律の知識が乏しい多くの人たちに対し、根気強くその重要性を説き先住民族社会をまとめていった。

難民リーダーのルイス・フェリペさん。パスト民族の彼は、仲間たちと新しい生活の場を作ろうと奮闘している。(2010年6月エクアドル・リタ 撮影 柴田大輔)

 

そんな父親を見て育ったルイスさんだが、彼は先住民族であることを恥じていたという。白人になりたい、その思いから15歳で大都市カリへ出た。そこで家具職人として働くようになる。その後、家庭を築くものの、都会での生活に合わなくなり一度は故郷のナリーニョに戻った。しかし、故郷では、武装勢力による虐殺、戦闘が頻発していた。

彼の暮らしていたコミュニティーにパラミリタール(右派民兵組織)が押し寄せた時がある。彼らが手にするリストには、ゲリラと協力関係にあった住民の名が書き連ねてあった。そこはもともとゲリラの勢力下にあった地域だ。リストをもとに暴行を受け、連れ去られる人々が何人もいた。数日後、川に捨てられた死体を目にした。

多くの住民が麻薬の原料としてのコカ栽培に携わっていたその地域で、武装勢力と接触を持たずに生活することは難しい。右派、左派どちらの勢力が上に立っても、住民にとって現状は変わらない。
しかし、政府の力が及ばないその地域で、武装勢力の間に立たされる人々は、身を守るすべがない。ルイスさんは、そこから逃れるため2002年、奥さん、3人の息子たちとエクアドルへと渡った。

エクアドルでは、首都近郊の町マチャチに暮らす親戚を頼る。NGO団体の助けを得て難民ビザを取得した。後に、マチャチに家具製作のための工房を借り、エクアドルでの生活を始めた。
(つづく)

大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
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(注)コロンビアはいま

国土の南北をアンデス山脈が貫く。(2008年3月コロンビア・ボヤカ県・コクイ山 撮影 柴田大輔)

全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。

南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。

南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。

5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。

コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。

1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。

現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。

また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)


【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。

【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧

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