第2回 錆付いたパイプライン
工場はまったく動いている気配がない。巨大なパイプラインの群れは、すっかり錆付いたまま人影の見えない敷地の中を這っている。その下にはトウモロコシ畑や水田が広がっている。「将軍様にしたがって千万里」の標語を書いた看板が空しく立っている。
キム記者が当地を訪れたのは2009 年の夏でちょうど「150 日戦闘」の只中。パイプラインの下に広がる水田では、動員された人たちが草取りをしていた。
(取材・撮影:キム・ドンチョル 順川 2009年7月 01分45秒)

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順川ビナロン連合企業所、通称「順川ビナロン」

この北朝鮮最大の石炭化学コンビナートの名前を、北朝鮮人の大部分は、北朝鮮式社会主義の、民族自立経済路線の失敗の代名詞、象徴のように捉えている。

〈偉大なる首領〉金日成の命によって始まり、莫大な労力と資金を投入したこの大プロジェクトは、結局まともに稼動することもなく時間だけが過ぎ、国民に何の説明もないまま頓挫してしまったからだ。

「ぴくりと動きもしないうちに廃墟になった」
「畑になっている」

リムジンガンの内部記者たちだけでなく、北朝鮮からの越境者、脱北難民たちも「順川ビナロン」の末路を、このように伝える。

プラントに設置されていた機械類の多くは他所に運び出されたり、ばらされてスクラップとして売り飛ばされたりしていった。建物の窓ガラスも建材も屋根板も、労働者や近隣の住民によって取り外され持って行かれたのだという。

だが、これまで私たち外部の者が見ることができたのは、八九年の完工前後に現地を案内された外国メディアの映像や、北朝鮮当局が官製メディアに流した写真や映像しかなかった。

90年代からたびたび順川市を訪れて現地の事情に詳しいキム・ドンチョル記者は「順川ビナロンの無残な姿こそが、今 の北朝鮮の経済破綻を象徴している。世界の人に知ってもらいたい」と、2009年夏、現地取材に赴き、「順川ビナロンの現在」を世界で初めて撮影するのに 成功した。
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動画 (01分45秒)  (C)ASIAPRESS

20110304_binaron_02_01「順川ビナロン連合企業所」は故金日成主席の直々の命によって建設された、北朝鮮最大の石炭化学コンビナートである。広さは18平方キロ メートル、甲子園球場467個分に及ぶ。計画が立ち上がったのは1983年4月。金日成はこの時「年産10万トン規模のビナロン工場を建造せよ」と指示 し、建国40周年の88年の完工を目指せと命令した。コンセプトは「自前の資源と技術で化学工業を打ち立てる」であった。

 

20110304_binaron_02_02資金難のために建設中断と再開が繰り返され、89年10月にようやく第一段階の工事が終わり、91年に完成した、とされた。しかし実際には、この国家の威信をかけて建設された巨大プラントが、ほとんど稼動することなく立ち枯れてしまった。

順川ビナロン連合企業所一帯の地図(google Mapより)
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順川ビナロン連合企業所、通称「順川ビナロン」

この北朝鮮最大の石炭化学コンビナートの名前を、北朝鮮人の大部分は、北朝鮮式社会主義の、民族自立経済路線の失敗の代名詞、象徴のように捉えている。

〈偉大なる首領〉金日成の命によって始まり、莫大な労力と資金を投入したこの大プロジェクトは、結局まともに稼動することもなく時間だけが過ぎ、国民に何の説明もないまま頓挫してしまったからだ。

「ぴくりと動きもしないうちに廃墟になった」
「畑になっている」

リムジンガンの内部記者たちだけでなく、北朝鮮からの越境者、脱北難民たちも「順川ビナロン」の末路を、このように伝える。

プラントに設置されていた機械類の多くは他所に運び出されたり、ばらされてスクラップとして売り飛ばされたりしていった。建物の窓ガラスも建材も屋根板も、労働者や近隣の住民によって取り外され持って行かれたのだという。

だが、これまで私たち外部の者が見ることができたのは、八九年の完工前後に現地を案内された外国メディアの映像や、北朝鮮当局が官製メディアに流した写真や映像しかなかった。

90年代からたびたび順川市を訪れて現地の事情に詳しいキム・ドンチョル記者は「順川ビナロンの無残な姿こそが、今の北朝鮮の経済破綻を象徴してい る。世界の人に知ってもらいたい」と、2009年夏、現地取材に赴き、「順川ビナロンの現在」を世界で初めて撮影するのに成功した。

 

 ビナロンとは何か

ビナロン工場を視察する金正日総書記

1939年、京都帝国大学の研究者たちによって開発された化学繊維。ナイロンに次いで世界で二番目に開発された化学繊維である。この開発者の中に、後に北朝鮮で最も有名な科学者の一人になる李升基(リ・スンギ)博士がいた。日本ではビニロン(Vinylon)と表記するが、本稿では北朝鮮での発音により近い「ビナロン」という言葉を使うことにする。
摩擦や薬品に強い耐性を持ち、現在では産業用資材としてフィルム、繊維補強セメントなどの原料として重宝されている。北朝鮮では60~70年代に「自前の資源と技術で作られる『チュチェ繊維』」「国の繊維問題が解決する」ともてはやされたが、ごわごわして衣服の材料には不適で、作業服に使用されるぐらいである。

(連合企業所とは)
北朝鮮における重要な生産企業の事業形態のひとつ。技術や生産品目が関連する生産工場群をひとつの企業体にまとめて運営する場合が多い。従業員数万に及ぶ大企業所も少なくない。70年代から次々に設立された。
例えば製鉄業の連合企業所の場合、鉱山、耐火物工場、製鋼所、輸送業などを結合させるケースが多い。
「順川ビナロン」の場合であれば、核となるビナロン生産が石炭と石灰を主原料にするために、石炭火力発電所、カーバイド生産、化学肥料生産など関連工場をひとつの企業体に集約させた。原料供給、生産、輸送を円滑に行えるという利点が強調されたが、実際には図体が大きくなることで、ひとつの工場の稼働率が落ちると他の工場にも大きな影響が出るなど、非常に効率が悪い。

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