コロンビア南部カリ市郊外に広がるサトウキビ農場。各地から大勢の労働者が集まる中、企業による機械化により仕事がなくなろうとしている。(2009年11月カリ市 撮影 柴田大輔)

 

第12回 都市で暮らす先住民族

コロンビア南部の大都市カリ。その郊外に、周囲を広大なサトウキビ農場が囲むサン・アントニオ地区がある。各地より農場で働くために労働者が集まる。ナリーニョからも50年ほど前より多くの農民が、仕事を求めて移住してきた。その中には先住民族の人々も含まれる。
サン・アントニオにはナリーニョから移住してきたパスト民族のコミュニティーがある。エクアドルで暮らす難民の一人に、母の様子を見てきてくれないかと頼まれ、2009年11月、サン・アントニオに暮らす彼の母親を訪ねた。

離れて暮らす、難民となった息子さんを心配するウメリアさん。(2009年11月カリ市サン・アントニオ地区 撮影 柴田大輔)

 

彼女はウメリアさんという。90歳を迎えた彼女は40年程前に、再婚相手とこの地に移ってきた。彼女の夫も仕事を求めて移住してきた一人だ。現在1人暮らしで、自宅の空き部屋をナリーニョからの移住者に貸し、その家賃で暮らしている。
帰宅したウメリアさんは、90歳を迎えているとはいえ、足腰も耳もしっかりしていた。持参した息子さんの写真を渡すと顔を崩して喜んでくれた。

サン・アントニオに暮らすナリ-ニョ出身者の中に64家族の先住民族がいる。彼らはこの地でカビルドを作り、先住民族としてまとまりを維持しながら暮らしている。カビルドとは先住民族社会でコミュニティーを運営する評議会の事だ。ここでは、小さな自治会の様な存在だ。私が居合わせた11月、来年へ向け、新しいカビルド役員を選出する選挙が行われた。

サン・アントニオ地区に暮らすパスト民族の人々は、故郷を離れながらも民族のつながりを大切にしている。(2009年11月カリ市サン・アントニオ地区 撮影 柴田大輔)

 

移住者の多いこの地で、彼らは住民に溶け込んでいるように見えた。それでも民族としてのつながりを維持している。エクアドルで会った難民の何人かはここで生活していたことがある。以前は故郷を追われた人々の受け皿としても機能していたのだ。

しかし、4年ほど前からサトウキビが、バイオエタノール向けに栽培され始めた。それに伴い、それまで労働者が手作業で刈り取りをしていたサトウキビが、企業によって機械化され、労働者の数は徐々に削減されていった。
2008年には労働者によるストが行われたが、全面機械化への動きは止まらないという。こうしたことも、行き場を失い、国外へ難民化する人々の背景にあるようだ。「息子に会えないのは悲しいことだけど、私は大丈夫だから、あせらないでゆっくり働きなさいと伝えて下さい」老女から難民となった息子への伝言を受け取った。彼女の家にその日はお世話になった。

コロンビア中西部カルダス県の都市マニサレス。住宅が密集するラス・コリーナス地区に先住民族ヤナコナ70家族が暮らしている。彼らは、コーヒーの一大産地であるカルダスへ仕事を求め、1970年代にカウカ県より移住してきた。
彼らを訪ねた2009年10月後半、カビルドの男性が、「見せたいものがある」とヤナコナの子ども達が通う地区の小学校へと私を案内した。登校してきた子どもたちがふざけあっている。

私を誘導した男性が「これを見てくれ」と指すポスターに目を疑った。そこには「先住民族が劣っていることを証明する」と題され、差別的な言葉が書き連ねてあった。しばらく見入っていると、横から子どもが、「声に出して読んでみな」とふざけた調子で声をかけてきた。

先住民族の子どもたちも通う学校に、先住民族に対する差別的な言葉が書かれたポスター(右側白地)が貼り出されている。(2009年10月 マニサレス市ラス・コリーナス地区 撮影 柴田大輔)

 

この空気は何なのだろうか。男性が「さあ、もう出よう」と即した。このポスターは、もう半年以上前から張り出され続けているという。ヤナコナの子どもたちはどのような環境で学校生活を送っているのか。

10月12日、カウカで先住民族の行進が行われていたその日、マニサレスでも先住民族による行進がなされていた。しかし、それと同時に県政府は、動物愛護のパレードを同じ市内で開いた。10月12日がどのような日かは誰もが知っている。先住民族を顧みず、敢えてそのタイミングで動物を持ち出されたことに対し男性は「オレ達は犬以下なのか」と漏らした。

一度、故郷を離れた人々が、新たに生活の場を築くことは容易ではない。失業率の高いコロンビアでは尚のことだ。それでも先住民族の人々は、彼らのもつ強い繋がりをもとに努力をしてきた。しかし、市場拡大から、効率を優先する企業による労働環境の変化、はびこる差別により新たな生活の場をも侵されている。
(つづく)

大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
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(注)コロンビアはいま

国土の南北をアンデス山脈が貫く。(2008年3月コロンビア・ボヤカ県・コクイ山 撮影 柴田大輔)

全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。

南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。

5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。

コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。

1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。

1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)


【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト1980年茨城県生まれ。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。

【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧