市場で石炭を並べて売っている。煮炊き用の石炭は元来は配給されていたが国営炭鉱の不振で途絶、市場で売買されるようになった。(2000年1月清津市 キム・ホン撮影)

市場で石炭を並べて売っている。煮炊き用の石炭は元来は配給されていたが国営炭鉱の不振で途絶、市場で売買されるようになった。(2000年1月清津市 キム・ホン撮影)

 

取材 キム・ドンチョル
監修 リ・サンボン(脱北者)
整理 石丸次郎

7 石炭産業にも市場化の芽生え

◆ 「人民坑」「自体坑」
北朝鮮の石炭産業が八〇年前後を境に下り坂に向かい、九〇年代の「苦難の行軍」期に多くが稼働を停止し、中には廃坑になってしまう炭鉱まで現れる中で、炭鉱の経営と運営形態に変化が生じた。まずリ・サンボン氏の証言。

「游仙炭鉱はまったく生産できなくなってしまったにもかかわらず、企業所として潰すわけにいかなくて残った。そうするうちに企業所に金を払っていくつかの坑を掘る小規模なグループが生まれ始めた。それは『人民坑』とか『自体坑』と呼ばれていて、市場に石炭を売っていた」。

市場と結びつく形で、炭鉱の地下に眠る石炭を個人が掘り出し始めたのである。整理者は、〇四〜〇六年頃、咸鏡北道から中国に越境してきた複数の人たちから同様の証言を聞いていた。放置された国営炭鉱の敷地に入り込み、井戸のように立て坑を掘り、人が降りて行って釣瓶(つるべ)でバケツに石炭を入れて掘り出す。

坑を大きくしすぎて落盤して人が生き埋めになる事故がちょくちょく起こるとのことだった。運営は数人から一〇人ぐらい。炭鉱地区に雨後の筍のように生まれているというのだった。
「人民坑」「自体坑」が発展したものか不明なのだが、さらに新しい経営形態の炭坑が出現する。国家経営から離れて独立した会社が運営する「チャト」である。
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