◆「現地の雰囲気は良いものとは言えない」

故金日成主席の生誕100周年を祝う15日の「太陽節」をもって、11日の党代表者会から続いていた政治イベントは一段落した。だが肝心の北朝鮮住民の反応はというと、海外メディアとの接触を「許された」平壌の一部の人々以外からは聞こえてこないのが現状だ。
アジアプレスでは15日夕刻に北朝鮮内部の取材協力者と直接通話した。数年来、「強盛大国の大門が開く」日だと北朝鮮政府が喧伝してきた「太陽節」当日、地方に住む北朝鮮住民たちの心を占めていたのは失望だった。

○半日以上にわたった当日の行事
取材協力者は前回と同じく、咸鏡北道のとある国境都市に住むハ・スリョン(河秀蓮、仮名・30代女性)氏。電話の盗聴を恐れてか、全般的に遠慮がちに喋っている。聞き手は中国にいる「リムジンガン」記者、パク・ヨンミン(朴永民)。
:「太陽節」の記念行事に行きましたか?
:はい。

:どんな行事でしたか?
:銅像に花束を捧げました。

:他には何かしましたか?
:特別なものはありません。あとは合唱団です

:あなたも参加したのですか?
:しましたよ(笑い)

:どんな歌を歌いましたか?
:(笑い)「太陽節」の歌を歌いましたよ

:たくさん人が集まりましたか?
:はい。

:どれくらい集まりましたか?
:組織生活をする人は全員ですね。職場別、それから所属する組織別、学生たちは学生でと、それぞれ別々に集まりました。職場のある人は敬拝(銅像への献花など)をするし、学生たちは競技場で集団体操をするなど、行事は別々に行いました。

:時間も随分かかるでしょう。どれくらいかかりましたか?
:半日以上かかりましたね。

:「講演(党から住民への報告会)」はあったんですか
:責任秘書(地域の党の最高ポスト)が来て講演をしました。

:内容は金日成生誕100周年を祝うものでしたか?
:そうです。

:100周年を迎えてあなたはどんな気持ちですか?
:そうですね、100周年だと言うから、「首領様(金日成)」を亡くした悲しみが蘇ってきましたし、それとは反対に、「強盛大国」になる100周年のこの日を首を長くして待っていたのに、国の経済は未だに大変ですし、私たちが持っていた期待とは少し違うというのが正直な気持ちです。貰った物を見ても・・・(ため息)
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