ナチスの爪あと訪ねて(その3)
第2次大戦末期、米英軍による無差別空爆に見舞われたドイツ。東部のドレスデンは市街地の8割近くが破壊された大空襲から67年目の2月13日、東京、大阪の空襲被災者らと現地を訪れた。ベルリンに残された「ナチス・ドイツの爪あと」を引き続きご報告する。(うずみ火 矢野宏)

◆処刑場記念館
ベルリン郊外にある国内政治犯を処刑した「プレッツェンゼー処刑場」記念館。ナチスに抵抗した一般市民が幽閉され、正当な裁判を受けることもないままに処刑されていった。犠牲者は2891人に上るという。今ではナチスの虐殺を歴史の記憶に残すため、記念館として保存されている。
冷たい鉄格子の薄暗い処刑室には花がささげられ、窓側には首吊りロープを張った釘も残っている。隣の部屋にはここで殺された市民らのマグショット(逮捕された際に撮影された証明写真)が展示されていた。どの表情も物悲しい目線をしており、思わず目を逸らしてしまった。

「許せないことに、ナチスは死刑執行の手数料、勾留費、執行料を遺族に請求していたのです」と、普段は温厚な木戸さんが怒りを込める。
ナチスが掲げた民族浄化や排外主義に反対し、自由と解放を求めて声を上げたことで無残な殺され方をしたドイツ市民たち。私ならどう生きただろうかと、ふと考えた。「おかしいことはおかしいと言える時代」に生きていながら、私たちはその権利を行使しているのだろうか。

◆総統官邸地下壕
ナチス政権の中枢部を訪ねた。総統官邸のほか外務省や法務省などがあったが、ソ連軍のベルリン攻撃で徹底的に破壊され、現存する建物は何一つない。地下壕は総統官邸の中庭に設けられていた。資料によると、地下15㍍、天井のコンクリートの厚さは4㍍、300もの部屋に仕切られていた。
ヒトラーは4月20日、地下壕で56歳の誕生日を迎え、30日に地下壕の一室で自殺した。地下壕は戦後、入り口が爆破されただけで、本体は現存している。一般公開すると、ネオナチの巡礼地になりかねないと長年非公開だったが、2006年6月に案内板が立てられ、現在は赤土の空き地が広がっている。

一般的に「ドイツは加害に、日本は被害に向いている」と言われている。その理由について、柳原さんは「日本は原爆の悲劇、ドイツはホロコーストの悲劇が国際的に象徴化されたのが大きい」と説明し、日独の歴史認識の違いについてこう語ってくれた。

「旧西ドイツはフランスやイギリスと仲直りしなければ、冷戦下の欧州で孤立してしまうため、フランスやイスラエルとの和解も積極的に進めます。ここにナチスの加害との取り組みも重なってくるのです。日本は東シナ海と38度線に冷戦の境界があったために、加害事実を直接突きつけられることが少なく、アメリカとだけ特に仲良くすればよかったのです」
さらに、柳原さんはこうも言い添えた。「西ドイツでは、市民運動としての反戦運動や平和運動が育っていき、国際化していったのに対して、日本の場合は内向きと言わざるを得ないでしょう」
学校現場で「君が代」「日の丸」が強制される今だからこそ、加害に向かうドイツの姿勢を学ばねばならない。
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