第2回 カメラを向けた8年という時間から見えてきたもの
◆作品完成までに8年という期間がかかりました。時間をかけた理由は何でしょう? そして、だからこそ見えてきたものとは何だったのでしょうか?
刀川
時間をかけたんじゃなくて、かかってしまったんです。かかってしまったっていうのは、やっぱり本当に自分がアホっていうかね、なんのリサーチもせずに、計算もなく、とにかくそこに通い続けたせいなんです......。
いまとなれば、それは必要な時間だったと思えます。

20120813_apn_tonaruhito_004「光の子どもの家」の本園とよばれる敷地には3軒の「家」があって、地域に2軒のグループホームがあるんです。最初は、その5軒をぐるぐるまわっていました。僕が訪れるのも週に1回ぐらい。日帰りするとか、もしくは1泊2日ぐらいっていう感じだったんです。
誰が誰で、何が何かってのもまだ何もわからない状態だったんです。でも撮り始めた。そのなかで僕は、子どもたちにとっては、ビデオを撮ってるオッサンというように認識してもらえるようにして、職員の方々とは話をして関係を少しずつですが作っていきました。

でも、彼らが暮らしている場所なんで、日常があるだけなんですね。何かが毎日のように起こるわけじゃない。一番撮れるのは、誕生会とかイベントなんです。それは撮りやすいし、重要なんだけど、それはあくまでもひとつの節目の部分です。そうした節目のあいだに、膨大な日常の連続があります。そうやって撮って1年半ぐらい時間が過ぎていきました。

撮影をしながら、簡単じゃないんだなってこともわかってきました。プライバシーの問題もあるし、撮っても公開できるのかな、っていうことも疑問に思えてきたりとか。ここに通い続けても、撮れるものなんてあるんだろうかって不安にもなりました。
「ご飯を食べて寝る」というようなことを撮っても意味がない、そのときはそれぐらいの認識しか僕にはなかったんですよ。このままやり続けても、一つの作品になんてならないとも考えていました。もうやめにしようかなって思う時間が続きました。

そのときに偶然ですが、日本映画学校(当時)出身の大澤一生と小野さやかの二人に出会ったんです。かれらが卒業制作で作った映画も自分の家族の問題を扱ったもので、いろいろ相談したんですね。
「これまだ始まったばかりじゃないですか」って大澤に言われました。じゃあ一緒にやってみるかっていうことになり、「まあ何とかなるかな、ひとりじゃなかったら」って気を取り直して、もう一回新たなスタートをしたんですよ。
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