北朝鮮に生まれ、日本で第二の人生を歩む「脱北者」リ・ハナさん(30)が出版した著書が静かな反響を呼んでいる。『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』。ハナさんはこの春、関西学院大学(兵庫県西宮市)を卒業予定の4回生。日本に暮らす「脱北者」は実は200人以上。その存在を知り、理解してほしい――。切なる思いをハナさんは、この本に託している。
【栗原佳子/新聞うずみ火】

リ・ハナさんは北朝鮮北西部、中国との国境に位置する新義州(シンニジュ)市に生まれ育った。18歳のとき鴨緑江を越えて中国へ。5年余りの潜伏生活を経て、2005年11月、日本に入国した。両親は1959年から84年まで続いた「帰国事業」で北に渡った在日朝鮮人だった。

歌うことが大好きな明るい少女だった。しかし突然、運命は暗転する。親族が罪に問われたことで「連座制」が適用され、ハナさんたちまで農村への強制追放が決まったのだ。北朝鮮の農村暮らしは日本のそれとは比較にならないほど過酷とされる。

「脱北者ですと堂々と言える日が来てほしい」と語るリ・ハナさん。写真:金慧林

◆「前だけ見て走れ!」 国境の川越える

凍てつくような冬の夜、母と弟の3人で「脱北」を決行した。
何度も転び、泥まみれになって氷点下の国境の川を渡った。捕まったらもっと大変なことになると、母から自殺用の薬を渡された。国境警備隊に背中から撃ち抜かれる恐怖に震えながら、全力で走った。

「母は言いました。真っ直ぐ前だけを見て走れ。一人が横で撃たれても振り向くなと。農村に追放されたら、そこで一生を終えるしかない。母は未成年の私たちに対して罪悪感を覚え、一か八かで、命をかけて国境を越えることを選んだのだと思います」

◆日本に着いてやっと自殺用カミソリ捨てる

中国に対する予備知識はほとんどなく、国境を越えれば「自由が待っている」と思っていた。しかし、待っていたのは「ずーっと追いかけられているという日々」だった。
身分証明書のない不法入国者。捕まれば強制送還が待っている。公安の陰におびえながら、食堂などに住み込み、厨房でひたすら皿を洗い、野菜を切り続けた。「家族ばらばらになっても、自分の道を自分で決めて、生きて生きて生き抜こう」という母の教えを胸に、必死に働いた。

関西空港にたどり着き、はじめて自殺用の薬とカミソリを捨てた。「自由になった。新しい人生が始まるんだ」と。2年後、ハナさんは韓国籍を取得した。

アルバイトで生計を立てながら夜間中学に通った。「在日」の家庭に育ったが、家では日本語は封印され、読み書きはできなかった。しかも北朝鮮で教育を受けたのは中学1年程度まで。幾重ものハンデを懸命に乗り越え、その後、日本語能力試験や大検を一つひとつクリアしていく。そして、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推薦入学制度によって大学入学の道が開けた。09年4月、日本に暮らす「脱北者」として初めての大学生になった。

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