APN_080714_yoshida_0004◆海外派兵をして他国の人びとを殺傷した歴史

安倍政権が「集団的自衛権の行使容認」に向けて解釈改憲の強行突破をはかっている。

解釈改憲により、集団的自衛権の行使を可能とする「国家安全保障基本法」の制定も目指している。

しかし、日本が武力攻撃されなくても、同盟国が攻撃されれば共に武力行使できるとする集団的自衛権の行使容認は、実質的には米軍と共に海外で戦闘ができるようになることを意味する。

9・11後のアフガニスタンへの軍事介入やイラク戦争のような、アメリカ主導の多国籍軍による武力行使に、日本も「集団的自衛権行使」の名のもとに加わる道が開け、対米従属路線のレールの上で、日本は再び「戦争のできる国」と化すだろう。

つまり、日本の兵士が他国の人びとを殺傷してしまう時代が再来するのである。

ところが、安倍首相にはどうも事の重大さがのみこめていないような気がする。

戦後69年、憲法9条あるがゆえに、日本は海外派兵をせず、日本の兵士(自衛隊員)が他国の人びとを殺傷することもなかった。

自衛隊のインド洋派遣やイラク派遣は、米軍への補給・輸送活動という兵站支援をふくみ、事実上の海外派兵だったともいえるが、憲法9条が歯止めとなり、なんとか戦闘行為には手を染めずにすんだ。

だが、もしも集団的自衛権の行使を容認していたら、それではすまなかったはずだ。海外派兵をして他国の人びとを殺傷してしまうことの罪深さ。それを日本人はアジア・太平洋戦争の歴史を通じて学んだはずだ、と思いたい。
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