大阪府熊取町の京都大原子炉実験所で反原発を訴えてきた研究者グループ「熊取6人衆」の今中哲二さん(65)が3月末の定年退職を前に、最後の「原 子力安全問題ゼミ」で講演した。講義のテーマは「福島原発事故から5年」。今中さんは「日本はこれから50年、100年と放射能汚染と付き合っていく時代 になった」と話す。(矢野宏/新聞うずみ火)

 

「熊取6人衆」全員がそろった最後の「原子力安全ゼミ」。左から海老沢さん、瀬尾さんの遺影を持つ今中さん、川野さん、小林さん、小出さん(大阪府熊取町で2月に撮影・栗原佳子)

「熊取6人衆」全員がそろった最後の「原子力安全ゼミ」。左から海老沢さん、瀬尾さんの遺影を持つ今中さん、川野さん、小林さん、小出さん(大阪府熊取町で2月に撮影・栗原佳子)

 

震災発生の翌12日に1号機が水素爆発を起こし、14日には3号機も水素爆発を起こした。大変な放射能汚染が起きていることは明らかだったが、まっ たくと言っていいほど情報が出てこない。「これは隠される」と思った今中さんは、自分たちでデータを取っておく必要があると考え、この年の3月28、29 の両日、福島県飯舘村に入った。

飯舘村は福島県浜通りの北西部にあり、福島第一原発から半径30キロ圏外。このときは避難指示区域にも指定されていなかった。

「放射能に汚染されているといっても放射線量の高いホットスポットがあるぐらいだろうと思っていたが、村の南側の長泥曲田(ながどろまがた)地区で測ると1時間あたり30マイクロシーベルトだった」

労働基準法で18歳未満の作業を禁止している放射線管理区域の約50倍。そんな放射能汚染の中で、飯舘村の人々が普通に暮らしていたことに驚いたという。

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