絶対統制品の米を売買する行為は「犯罪」であったが、配給制の崩壊は法秩序を瞬く間に破壊してしまった。1998年10月江原道元山(ウォンサン)市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)

絶対統制品の米を売買する行為は「犯罪」であったが、配給制の崩壊は法秩序を瞬く間に破壊してしまった。1998年10月江原道元山(ウォンサン)市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)

 

◆北朝鮮の大変化を理解も説明もできない不満
私の目の前ではとてつもない社会の大変化が起きているのに、それを理解も説明もできないとことが、知識人として私は不満であった。我らはなぜ、このように、静かに飢死しなければならないのか!果たして問題は何なのか。それすらはっきり示すことができない自分に対して、もうこれ以上妥協することはできなかった。

ただ一つの難点は、(闇)市場化されたこの新しい世界で、私のこの志が、私と家族の生計にとって何の意味もないだろうということであった。なぜならば、この社会では知識のような精神文化的なものの需要はほとんどゼロなのであるから。しかし、人間の社会ならば、知識には価値と需要があるという漠然とした信念が私にはあり、「北朝鮮の常識」に挑戦して、その多くの例外を探し、未来の芽を発見したいと思った。

もう一つ、情報の少ないこの国でも、この冒険に希望を見出す根拠もあった。それは、90年代初に平壌で見た米国のドキュメンタリー「米国映画の百年」だった。その中で、1930年代初めにあった大恐慌期に、他ならぬ映画界は歴史上の大全盛期を迎えていたという事実を知った。

確かに朝鮮の現実でいうと、これは即座に受け入れることは難しい。だが、「困難期に文化的需要が増す」という、この一見矛盾しているようなことは、異国の現象だが、人間の本性的なものだと説明するしかなく、民族に関係ない普遍的特性ではないかと考える機会になった。

朝鮮社会が体験している社会的及び経済的な大破綻にしても、決して無意味ではないはずだという私の期待も、自然なことなのだろう。惨状をさらしている北朝鮮の現実が、一方で巨大な反作用のエネルギーをどこかに産んでいるはすだ。その存在に対する知的衝動が、私の中で沸き起こり始めた。1995年の秋のことだった。(続く)

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