北朝鮮から韓国入りした亡命者数推移(1)1995~2002年(韓国統一部、国家情報院の統計より)

北朝鮮から韓国入りした亡命者数推移(2)2003~2017年 (韓国統一部、国家情報院の統計より)

 

◆中国からどのようにして韓国に行くか

韓国入りを果たした北朝鮮難民の数は倍々ゲームで増えてきた。2002年は7月の段階で前年の亡命数と並ぶ勢いだ。しかし、この数字は、北朝鮮から中国に脱出する難民数が倍々に増えていることを意味しない。むしろ、2000年以降は、朝中当局の警備強化のために、北朝鮮を脱出できる人は減っている。それではなぜ非合法で、金もかかる韓国入りを果たす難民が年々急増しているのか?

一つ目の理由は、中国当局による難民取り締まりが厳しくなり、強制送還への恐怖から、中国での潜伏が困難になったことである。難民たちは外部世界の情報収集を始め、金を貯め、ルートを研究し、意を決して第三国出国を目指すようになった。

二つ目は、難民支援団体が、同様の理由で隠れ家を提供するだけでは保護しきれない難民たちを、密出国させ始めたためである。北朝鮮を脱出してから、韓国入りを果たすまでには普通1年から4年、時には5年以上の時差が生じる。中国に潜伏している難民の過半数は19972000年に北朝鮮を脱出した人々で、この人たちが続々と韓国入りを果たしているわけだ。

中国から韓国へ入る、主なルートは次の四通りである。

(1)東南アジアルート

[南寧→ベトナム→カンボジア→タイのバンコク→ソウル]、もしくは[昆明→ビルマ(ミャンマー)、あるいはラオス→タイのバンコク→ソウル]が主なルートである。

賄賂や偽造身分証で中国から国境を越える。バンコクに到着するまでに周辺国の何重もの検問・検査を、やはり賄賂やブローカーを使ってかいくぐり、タイで拘束された後、韓国領事館に保護を申請して韓国入り、というのが一般的なルートとなっている。

ビルマの場合、国境越えした後にジャングルを彷徨い、逮捕され数ヵ月~1年の収監中に韓国当局が保護に乗り出すケースが多い。

2000年代半ば以降、東南アジアルートの中心はラオス→タイとなっている。

(2)モンゴルルート

内蒙古自治区の二連浩特などの国境の都市まで列車、車で行き、ゴビ砂漠の国境を歩いて越えてモンゴル側国境警備隊に逮捕、取り調べのためウランバートルに護送されて韓国当局が保護するというケースが大部分だった。

中国―モンゴルは長大な国境線を持つが、自然環境が厳しく接近が難しい。結局、中国内の交通の便から、越境地点は数カ所に限られてくる。モンゴル―内蒙古自治区の分断線は警備が厳しく、鉄条網が十重以上に張り巡らされている地点もある。

ゴビ砂漠の砂に足を取られながら鉄条網を一つ一つくぐって、モンゴル領内に入ったら、必ずモンゴル側国境警備隊に拘束されなければならない。なぜなら、道も民家も商店も何も無い、時折遊牧民がいるだけの砂漠を、ウランバートルまで歩いていくのは不可能だからだ。2001年には難民のグループがゴビ砂漠を彷徨ったあげく、10代の男児が死亡する事故が起こっている。

※注 この悲劇を基に映画「クロッシング」が制作された。 

逮捕したモンゴルの国境警備隊に向かって「コリア、韓国」と叫びつづけると、ウランバートルまで列車で護送される。その後は韓国大使館に連絡が入り、保護してくれる。だが、このルートは費用がかからず比較的安全だったことから99年以来難民が殺到して公になり、モンゴル側も中国に送り帰す事例が出はじめた。また中国側の警備強化で、2001年半ばからは事実上閉じられた状態だ。
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