重点的に空爆される都市部から、土地や財産を手放して逃げる人々が増え続けている。カレンニー州では人口の半数ほどが国内避難民(IDP)となり、その多くは生活環境が厳しいタイ国境付近のキャンプで暮らしている。州内にある2ヵ所のIDPキャンプを訪れ、故郷を追われた人々のいまを追った。(新井国憲)

4度の避難の末、タイ国境付近のIDPキャンプにたどり着いた女性(2024年1月 撮影:新井国憲)

◆4度の避難の末、IDPキャンプへ

車のギアを変え、幅数メートルの小川を強引に渡りきる。無数の枝葉に覆われた細い山道をかろうじてくぐり抜けると、木漏れ日が差し込む開けた敷地に出た。木材や竹を組み合わせ、壁面をビニールシートで覆った簡素な家々が林立する。戦闘の影響により、住居を追われた人々が生活するIDPキャンプだ。

タイ国境付近にあるIDPキャンプ(2024年12月 撮影:新井国憲)

タイ国境付近には、9つのIDPキャンプが点在する。訪問したキャンプでは、州北西部のディモーソー付近から逃れた約200人の人々が暮らしていた。キャンプでは米や豆などの食糧が定期的に配給されるが、その量は充分ではない。キャンプの責任者は「ご飯とお茶の葉しか食べられないことがあります」と話す。

カレンニー州(カヤー州)はミャンマー東部にあり、タイと国境を接している(地図作成:新井国憲)

人々は農業で生活の立て直しを図るが、キャンプ付近での農業は困難を極める。水を貯蔵する設備がなく、特に雨が降らない3月から6月末にかけて水不足に陥るからだ。同行したIDPキャンプの水問題に取り組むNGO職員は、「人々は村の近くにある小川の汚染水を利用せざるを得ない。避難民は、深刻な水不足や水質汚濁による健康被害に陥っている」と苦渋の表情を浮かべた。

州内で国軍と最初の戦闘が起きた地域から避難してきた女性(76)は、疲れ切っていた。

「私は目と耳が悪く、国軍の戦闘機が来ても、何が起きているのかよく分からないのです。とても怖かったです」

家を手放し、着の身着のままひたすら逃げた。だが、行き着いた避難先でも国軍の空爆に襲われた。4回の避難の末、安全だと聞いたタイ国境に近い町・メーセに、必死の思いでたどり着いた。

この高齢の女性を支える家族はいない。夫とは15年前に死別し、息子は抵抗勢力の兵士として戦っている。弱々しく、足元がおぼつかない女性は、食事やトイレにもひと苦労する。

女性は目をつぶったまま、「人生のすべてを壊されました。戦争が始まる前は、幸せに暮らしていたのに…」と消え入りそうな声で話した。国軍の空爆で故郷は破壊され、家や畑、家畜など、すべての財産を失った。故郷付近では、今なお激しい空爆が続いている。

「故郷には帰れません!もう、故郷のことは考えたくもありません」

女性は少し声を荒げながら、そう嘆いた。

◆内戦で子供を亡くした母親 生活厳しいIDPキャンプ

避難民たちはビニールシートに覆われた粗末な小屋で暮らしている(2025年1月 撮影:新井国憲)

別のキャンプを訪れた。広大な耕地の中に、小屋や高床式の住居が点々と散らばっていた。この第6IDPキャンプには、約80世帯400人の避難民が滞在する。約半数は子どものため、キャンプ内には8学年までを対象とした仮設の学校も設置されている。

現在、州西部とミャンマー中部を繋ぐ道路は国軍に占拠されており、生活に必要な物資はタイ側から運ぶしかない。だが、ここは国境から最も離れたキャンプで、支援物資は不足している。

設立当初からこのキャンプに居住する女性(66)は、「病気のことが心配です。ここは薬も少ないし、(処置が可能な)クリニックさえありません」と不安をにじませた。病院のある町へ行くには車で険しい道を1時間以上走らねばならない。

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